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「会いに来たよ、お兄ちゃん」
目の前の、向日葵を供えた墓石に声をかける。今日は、10年前に亡くなった、年の離れた私の兄の命日だ。兄の御墓参りのために、私は故郷へ帰ってきたのだった。
鴉の鳴く声が、遠くから聞こえてくる。空は鉛色の雲もすっかり晴れ、オレンジ色の夕焼けに染まっていた。
兄は、向日葵が大好きだった。そして、絵を描くこともまた、好きだった。
幼かった私の手を引いて、沢山の向日葵が咲き誇る向日葵畑に連れて行っては、いつも持ち歩いているスケッチブックに、向日葵の絵を描いていた。
兄はとても優しかった。誰よりも、何よりも、妹の私を大切にしてくれた。穏やかに微笑みながら、いつも、いつも優しくしてくれた。
優しくて、絵が上手くて、かっこいいお兄ちゃん。私は兄が大好きだった。
兄は、夏に生まれ、夏を愛していた。しかし兄は、心から愛していた夏に、その命を終えてしまった。
病死だった。生まれつき体が弱く、涼風村から少し離れた大きな街の病院で入退院を繰り返していた。それでも兄は、大好きな絵を描くために、私を喜ばせるために、無茶をしていたのだ。
10年前の今日、向日葵畑からの帰り道。兄は私の目の前で、倒れた。偶然通りかかった近所の人が救急車を呼び、病院に搬送されたが、兄は間も無く息を引き取った。
幼かった私には、兄を失ったショックは形容し難いほどに大きなものだった。毎日「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と泣き喚いては、両親を困らせた。兄のスケッチブックや写真をずっと抱き締めて、家から出ようとしなかったこともあった。私は、それほどまでに、兄が大好きだったのだ。
ーー大好きだった、のに。
今は、顔すらも思い出せない。兄が亡くなった日のことは、あまりにも衝撃が強すぎて記憶に残っているが、兄の容姿、声が、少しも思い出せないのだ。
両親の仕事や、自身の都合で引越しを繰り返してきた10年の時の中で、兄との思い出の写真は、どこかへ消えてしまった。
残されているのは、記憶の中に僅かにある、朧げな兄の面影だけなのだ。
「じゃあ、またね、お兄ちゃん」
ふと空を見上げると、陽はほとんど沈みかけ、オレンジ色の空を、藍色の闇が蝕みつつあった。そろそろ、行かなくてはいけない。
「また、来年、ここに来るから」
そう言って、私は歩き出した。