「…雪?」
 「それでも…俺は鈴矢と従者の役目を果たしたいんだ」
 珍しく弱々しい声であったが、掴まれた腕に至っては馬鹿力が健在だった。
 「…時近にお前が救えるとは思えない。自分が籠女になると知った矢先に、母親を村から追い出して、貰った大金で男を買った女だぞ?ガキのうちでだ!」

 時近……?
 そういえば…いたな。小学校の時に何度か見た事がある。
 いつもくたびれた服を着た、可愛いけれど、幸薄そうな女の子。
 
 「時近ってあのタメの?…そういや身体弱くてしょっちゅう休んでたよな。そっか…今にして思えば、アレは籠女への災い返しくらってたのか」
 少しでも興味を持つという域に達する事なく、いつしか姿を見せなくなった。
 この村の馬鹿げた習わしとは無縁そうだったから、村を出る事を許されて、どこか大きな病院にでも入ったのかと思っていた。
 
 でも、そうだ。…確かに評判の良い母親ではなかった。
 少なくとも、いつも着古され草臥れた服を与えていた娘の病のために、多額の金を払うとは…とてもじゃないが思えない。

 そうか、あの今にも消え入りそうな女の子が、籠女になっていたのか…。

 「……大人しくて、男を買う様なキャラには見えなかったけど」
 「だけど事実だ。…ていうか、有名な話だろ」
 「…雪、大きな声だすなって…」
 ズキズキ痛む額を押さえ顔を顰めると、顔を顰めた雪が少し声を落とす。
 「…1個下の有馬がそうだろ。籠女は一生を隔離されるって言うが、実際どう生活してるのか知るヤツは少ない。椿の姫みたいに公の場で神事を行うわけじゃないからな。…男を買って飼おうが、自堕落な生活を繰り返していようが、籠女という役目をこなしているふりをしようが」
 
 少し下にある雪の目は、真っ直ぐにオレを見て、掴まれた腕に更なる力がこめられた。
 拍子に揺れた懐中電灯の明かりが、不安定に辺りに揺れる。

 「時近は本当に籠女なのか?災いだというならば、最初から椿の姫である霜月に頼んで返して貰えば早い話じゃないのか?」
 「確かに…。言われてみればそう、だよな?」
 「霜月の失脚を企てる奴等がたてた偽者の籠女かもしれない。…聞いた事くらいあるだろ?大昔に【宝城】の娘が椿の姫に選ばれた時の話だ」

 【宝城】の椿の姫の従者が、籠女を殺めてしまった。
 
 元凶を断てば…という浅はかな考えだったのだろう。
 だが、結果は最悪の事態になったのだという。
 すでに溢れてしまっていた災いが、帰る依り代をなくしてしまったのだから。
 災いに蝕まれた村がどうなったのか…その詳細を知る者は村でも極一部らしい。
 伝え聞かせるにはあまりにも…という惨劇に見舞われたのだという。

 それ以来、椿の姫もといその従者が、籠女と会う事は禁忌とされた。