痛みが鼓動している。
 早く帰って、鎮痛剤を飲んで、さっさと横になりたい。
 ここ数日は、もう色々な意味で頭が痛い。
 
 こんな事態、オレは望んでいなかった。

 「鈴矢」
 短く名前を呼ばれハッとする。
 顔を上げ隣を見れば、グラスに注がれたジュースに口をつけている幼馴染が、明らかに声を潜めてこう続けた。
 「笑え」
 幼馴染である天音雪(あまねゆき)の長い睫毛が伏せられる。
 
 …笑え?一体何のために…。

 霜月の大きな邸にある広い客間は、旅館の宴会席を思わせた。
 正面を見据えれば、4列に分けられたテーブルが奥の方まで続いている。
 霜月につき従ってきた村の大人達が笑い、酒を飲み、豪勢な料理をつつく中で、使用人達が忙しなく行き来している。
 どこか現実感のないその光景を、上座から見ている時だった。

 「鈴矢、元気ないわよね?どうかしたの?」
 雪の隣から顔を覗かせたのは、この宴の主役である【椿の姫】となった霜月歌世だった。
 「いや、ちょっと頭が痛いだけ」
 「え?大丈夫?!」
 慌てて席を立とうとした歌世を、すかさず雪が手で制する。
 「霜月、主役のお前が席を立っちゃダメだろ?慣れない雰囲気に気疲れしただけさ。ちょっと鈴矢と風にあたってくる」
 その細い腕のどこにそんな力があるのか…。
 雪は強引に腕を引いて立たせると、オレと歌世が口を開くよりも先に素早く席をたってしまった。
 
 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 客間を後にして、少し離れた所にある縁側に腰をおろす。
 4月のまだ少し冷たい夜風が頬を撫でれば、庭先に咲いている満開の桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちた。

 「お前、おかしいぞ」
 すでに呆れを通り越した雪の声に、ズキッと頭が痛む。
 
 「誰にでもいい顔してたのは、こうなる事を望んでたからじゃないのか?」
 「…望む?椿の姫の従者になる事を?オレが?…まさか」
 思わず乾いた笑いが漏れてしまった。
 それが気に食わなかったのだろう雪が、容赦なく胸倉を掴みあげた。
 雪の鋭い猫みたいな目がスッと細められる。
 
 端整な顔立ちと、長身だが華奢な体躯の癖に、雪の性格は実に男らしい。
 雪を初めて見たヤツは大抵、眉目秀麗という言葉を思い浮かべるのだが。
 残念な事に……コイツは驚く程勉強が出来ない。
 これに至っては、勉強をする気がないとも言うのだが。
 そして驚く程モテないのだ。…一部、コアなファンがいるとは耳にするのだが、真性のマゾなんだと思っている。
 老若男女関係なく、割と言いたい事をズケズケとぬかす性格なのだ。
 良く言えば裏表がない。
 悪く言えば無神経といったところだろう。

 兎に角、雪は中身が外見を裏切りまくっている。
 それに関しては…人のことは言えないのかもしれないが。

 「歌世は男見るセンスないよな。…幼馴染ってだけでオレらを従者に選んでる」
 喉元に感じる雪の拳に更に力がこめられ、少しの息苦しさに襲われる。
 
 「お前…本当にどうしたんだ?」
 ズキリ…と軋むような痛みが頭に走る。
 
 「従者に選ばれるために、誰にでも愛想笑い振りまいて、優等生ぶって霜月に取り入って、幼馴染なんて関係を続けて来たんだろう?」
 まるで雪の言葉を拒絶する様に、押し寄せる痛みの波が大きくなってゆく。
 脈打つ様なそれに、ついに吐き気が込み上げた時だった。