その禁忌を利用して、従者の失態から霜月を陥れようというのか。
 
 仮に時近に、偽の籠女を演じてこの計画に協力する様に持ちかけたとする。
 彼女が忽然と姿を消したのは小学校の時の話だから…また随分と気の長い作戦だな。
 それに何の面白みもない罠すぎる。
 もしこれが事実ならば…オレと雪は相当馬鹿にされてるんじゃないだろうか。

 「あのさ、雪……」
 もう少し勉強しよう━━…と説得を試みようとした時だった。
 
 「ねぇ」
 聞き覚えのないぶっきらぼうな声に、思わず身体が跳ねた。
 動揺するオレと雪の事などおかまいなく、その声の主は言葉を続けた。
 「本来なら絵真はもう寝てる時間なんだけど。ほんと迷惑…」
 少し距離をあけて…社の微かな明かりを背負う、黒い人影。
 
 いつの間にそこにいたのだろうか。
 この痛い程の静寂の中で、足音もたてずに…。
 距離にして3mといったところだろうか。ここまで距離を詰められている。
 ゆっくりと懐中電灯を当てると、眩しそうに目を細めた…男がいた。
 
 「…あれが噂のヒモ、有馬奏だ」
 雪が隣で興味無さそうに吐き捨てた。
 「いや、うん…知ってる。たまーにバス停で顔会わせるし…」
 籠女に飼われてる云々は知らなかったのだが…。
 
 そっと懐中電灯を有馬の顔から外すと、染み付いた習慣でつい笑顔を浮かべる。
 「ごめん。有馬君…だよな?もしかしてオレ達が遅いから迎えに来てくれた?」
 「帰れ」
 …食い気味の返答に対し、オレと雪は共に同じ顔をしていただろう。
 正に『は?』という虚をつかれた顔である。
 
 「いやいや…あのね、有馬君…。仮にもオレ達は来いと言われた側なんだけど」
 オレ達を見る有馬の瞳は、炎さえも凍てつかせてしまいそうな氷の様だった。
 無愛想というのか、無表情というのか…綺麗な顔も相まって人形を彷彿させる。
 「そう言ったら素直に帰ってくれるのか、一応試しに来ただけ」
 それだけ言い捨てると、社の方に身を翻しスタスタ歩き出してしまう。
 
 今にして思えば、たまに見かける有馬はいつも独りだったので…。
 彼が言葉を発しているのを初めて見たし、その声を聞いたのも初めてだ。
 こんなヤツだったのか…。
 単に人付き合いの苦手な、大人しいヤツだと思ってた…。
 人間知らない方が良い事もほんとあるんだな。

 「鈴矢、行くぞ」
 「……罠の可能性云々はどうしたんだよ」
 恐らく…有馬はオレ達が帰る事を望んでいる。
 言葉自体は濁したつもりだろうが、あの絶対零度の目が全力で拒絶していたからだ。
 先にある闇に溶け込んでゆく人影を見やる。
 
 ……やっぱり、足音が聞こえなかった。
 
 「彼に教えてあげなきゃね」
 「有馬に?何を?」
 「雪は自分より年下のヤツに敬語使われないと結構根に持つって」

 どんなつまらない理由にせよ、雪が行く気になったのだ。
 折角ここまで来たのだから、自分はすでに後戻りを選ぶつもりはない。
 ズキリ…と軋む頭に急かされて、オレと雪は闇の中を進みだした。