「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っもうっ!!」
琥珀色の輝きを放つ太陽の下。
少女、柳白翠(りゅう はくすい)はおよそ年頃の乙女とは思えぬ叫び声を上げた。
長く艶やかな黒髪は、その美しさに気を配ることもされず、無造作に束ねられている。
彼女が暮らすここ、華国では珍しい大きな瑠璃色の瞳には苛立ちが浮かんでいる。
見るからに上等な巫女装束は、悲しきかな、袖ががばりとめくられ、たすき掛けされているせいで元々の上品さは跡形もない。
目鼻立ちのはっきりした、色白の美少女であるというのに、叫び声といい服装といい、いろいろな要素がそれを台無しにしていた。
「ど〜〜〜〜〜〜して私が今更野蛮な野郎共の巣窟である都に戻らなきゃなんないのよっ!!!」
ひゅん!
白翠の絶叫とともに放たれた矢は的の中央へ、実に的確につきささる。
「……白翠ちゃん、みやこ、きらい?」
側仕えの少年、李静流(り せいるう)は二本目の矢を差し出しながら可愛らしく小首を傾げた。
「大っ嫌いよ!だって、むさっ苦しい、私の大嫌いな男がたくさんいるんだもの!!」
ひゅん、ひゅん!!
「う……。白翠ちゃん、ぼくのことも、きらい?おとこのこだから……。」
「違うわよ。静流はいいの。私が嫌いなのは、政治だなんだってガツガツした男の子とよ!」
ひゅん、ひゅん、ひゅん!
「だいたい、今までこんな田舎の地に媛御子の座だけ与えて……しかも自分の道具として!……それがどうして今になって都に呼び戻すわけっ!?あんのクソ親父っ!!」
ひゅん、ひゅん、バキッ!
円形に射られた矢で的の中央がきれいに
くり抜きされる。
「ふん。まぁいいわ。」
白翠は割れた的を満足げに見下ろし、あざ笑うような笑みを浮かべた。
「あのクソ親父……丞相が何を考えてるかは知らないけど、さっさと要件終わらせて、ついでに今までの憂さ晴らしに大金巻き上げて鈴祥に戻ってくるんだから!!」
絶対にっ!!
白翠は高らかと拳を天に突き上げて決意を固めるのだった。
森羅万象を司り、全能と唄われる存在、「神」。
しかし、以下に神々が万能といえど、時には疲弊し、また、人の邪なる心にあてられ、その身を堕とすこともあった。
ゆえに、堕天した神を癒すことができる「神子」は、古くから「神の妻」して尊ばれていた。
また、各地方の、神子たちの統率役である任期十年の役職、「媛御子」は、都の官吏たちにとって、娘をその職につけ、都での自分の実権をより強大なものにするためには欠かせないものであった。
そして。
そんな媛御子たちの頂点に君臨する、
「斎宮」
は、時に王にすら意見できるほどの強力な権力を有していた。
斎宮はこと華国において、王族との結びつきを強めるため、必ず王の子、つまり皇子のいずれかと結婚することとされていた。
そう。
全ては神々の力を、国の繁栄と栄華のため、利用するために。
大陸最大の勢力を誇る大国、華国。
神々の力のもと、国は大いなる発展と栄華をきわめていた。
華国、首都、「青蘭」にて。
王城の隣に位置する「香侖殿」。
華国第三皇子、蒼斎葵(そう さいき)は書類整理に明け暮れていた。
「明日ですね、斎葵様!あなたの花嫁様が来られるのは!」
王都の守護する役目である、王直属部隊、「神流司」の長、雪影月(せつ かげつ)はまるで自分のことのようにそう言った。
「花嫁?ふん、くだらない。どうせ形だけの斎宮だろ。所詮は父親の命令を聞くしか脳のない小娘。全くもってくだらないな。」
斎葵は影月の方を身もせず、冷ややかに吐き捨てた。
月のような輝きを放つ白銀の髪。髪と同じ銀の瞳は氷のような冷ややかな光がともっていた。
神のごとく圧倒的な、一瞬で見る者をねじ伏せるほどの美貌。
同性であり、見慣れているはずの影月でさえも思わず見とれてしまう造形美。
「まったく、あなたという人は……。よいではありませんか。『神の妻』たる斎宮様を花嫁にできるのですから。それにですね、噂によると、今回の斎宮様はなんでも大変可愛らしい姫君だとか。」
「顔などどうでもいい。」
「しかもですね……。」
影月は斎葵の言葉をあっさり無視して続ける。
「調査によると、斎宮様はここ、華国では珍しい、瑠璃色の瞳をお持ちだそうですよ。」
「……瑠璃色?」
『あなたの髪と瞳、とってもきれい。まるで真珠みたい。』
「……………。」
「……斎葵様?」
影月が斎葵の不審な反応に不思議そうな表情を浮かべる。
「……くだらない。」
『化け物!!』
「っ……。」
「どうなさいましたか、斎葵様?」
「……なんでもない。」
ますますわからないというような影月の視線から逃げるように手元の書類に視線を戻した。
✴︎ ✴︎ ✴︎
場所は変わり、丞相、柳利潤の屋敷にて。
「斎宮って……どういうことよっ!」
白翠は都の来てすぐに言われたことに激しく動揺していた。
「ですから、白翠様におかれましては、本日より斎宮になっていただくということでごさいます。」
父、利潤の部下である可吉師はそんな白翠に、落ち着いた様子で言葉を返した。
「だ、か、ら、どうして私が斎宮にならなきゃならないわけっ!?斎宮候補の娘なら、柳家にちゃんといたでしょうがっ!!」
「はい。ですが、斎宮になられるはずであったあなた様の姉上、美蓮様が、お父君の反対を押し切り、とある男と駆け落ちしてしまったのです。ゆえに、あなた様には美蓮様の代わりに斎宮となっていただくしかないのです。」
「そんなこと知らないわよっ!!ふざけないで!!」
「……よろしいのですか、白翠様。」
「は?何がよ?」
「斎宮とは、つまり皇子の妻。その重要な役目にあった姫君が男と駆け落ちした、などと宮廷にしられてしまえば、わが柳家は王族を謀ったことと同義。厳正な処罰はまぬがれないかと。それは利潤様のお子であるあなた様も同じ末路をたどるということです。」
「っ!!それにしたって、なにも私じゃなくてもいいじゃない!それに、そんな嘘、すぐにバレるわっ!」
「いえ、斎宮の資格を持つ姫君は媛御子であるあなた様しかおりません。また、白翠様が偽物であることがバレることはありません。」
「どうして断言できるのよ!?」
「ええ、断言できます。なぜなら、柳家の、それも一部の人間しか、美蓮様のお顔は存じません。あなた様が代役に決まった直後から『新しい斎宮様は珍しい瑠璃色の瞳をもっている』という噂を流してありますから問題ありません。」
「っ……。」
「お選びくださいませ、白翠様。このまま斎宮としてなんの不自由もなく暮らすか、はたまた王家を謀った罪人の一族として暮らすか。」
「……わかったわ。」
「ご賢明な判断、なによりです。」
「わかったけど、一つだけ言わせてもらうわよ。」
「はい?」
「斎宮になるのは仕方ない、諦めてやるわ。でも、斎宮は王族と結婚しなくちゃならない。」
「その通りでございます。」
「で、今回は確か第三皇子と結婚するんだったわね?」
「はい。」
「私は、その皇子になんか恋しないわよ。」
「……。」
「どうせあのクソ親父のことだもの。大方娘を斎宮にして子供を産ませ、王族との親戚関係を作りたいんでしょうけど、私にそこまでする義理はないわ。そうしたければ自分の都合のいい命令を聞いてくれる私のお姉様でも連れ帰って来なさい。そのお姉様をなんとかして斎宮にしなさい。」
「……それが条件と?」
「当たり前でしょ。私はね、男が大っ嫌いなの!皇子だかなんだか知らないけど、王宮の中で甘ったれて育ったわがまま野郎のかわいー嫁になんか、絶っ対にならないわ!!」
✴︎
✴︎
「ああ〜〜〜〜〜っ、ムカつく!!」
白翠はあてがわれた自室にもどったとたん、神に飾っていたクチナシのはなを床に叩きつけた。
「ふざけんじゃないわっ!どうして、どうして今更っ!」
「白翠ちゃん……。」
「っ、どうしてよ。今まで、私のことなんか、忘れてたくせに。…………母様のことは、捨てたくせに。」
キュッと血がにじむほどに強く唇をかみしめた。
「………母様のことも、私のことも、とっくに忘れてたはずじゃない。それなのに……。」
「白翠ちゃん!誰か来るよ!!」
静流の慌てたような声にハッとおもてをあげた。
「失礼します。柳美蓮様。私は神流司の上、雪影月と申します。しばしよろしいでしょうか?」
自分を「美蓮」と呼ぶ言葉に、白翠はピクリと肩を震わせた。
「……どうぞ。」
「失礼いたします。」
部屋に入って来たのは若い男だった。
色素の薄い茶色の髪に赤みがかった栗色の瞳。優しげに整った顔立ちの好青年である。
「突然の訪問をお許しください、美蓮様。いえ、斎宮様とお呼びした方がよろしいですね。」
影月と名乗った青年は白翠に向けてにっこりと微笑んだ。
「いいえ。お初にお目にかかります、柳美蓮と申します。以後、お見知り置きを。」
青年と同様、「にっこりと」、精一杯の上品な笑顔で軽く自己紹介をした。
「私のような者が斎宮という大役に選ばれたこと、大変嬉しく思いますわ。」
「私も安心いたしました。我が主、斎葵皇子の花嫁があなた様のような大変美しいお方で。」
「……一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、なんでしょう?」
「第三皇子……蒼斎葵様って一体どんなお方なのでしょう?」
白翠の問いに影月は嬉しげに破顔した。
「斎葵様はとても素敵な方ですよ。あなたも必ずお気に召すはずです。」
「……そうですか。」
(そりゃ主のことだもの、悪く言うわけないわよ。)
「不安……ですか?」
遠慮がちにそう、聞いてくる。
「いいえ、そんなことありませんわ。」
(面倒なやつね。)
「……。」
影月は少し考え込むようにさなそぶりを見せたが、すぐにもとの優しげな表情をうかべた。
「いろいろと不安でしょうが、何かありましたらご相談ください。いつでも力になります。」
「ありがとうございます。」
白翠の中でこの青年の評価が少し上がった気がした。
✴︎
✴︎
次の日の朝。
白翠はいつになく慌ただしい朝を迎えていた。
「あ、暑い……。重い……。」
結婚式というわけではないのだからちょっと豪華な衣装でいいじゃない!と思うのだがそうもいかない。
(ああ、私はいつになったら鈴祥に帰れるのかしら?)
白翠のため息は喧騒の中、かき消されてしまった。
✴︎
✴︎
「すごい……。大きい……。」
白翠はあたりを見渡しながら感心のため息を漏らした。
広大な、東西様々な植物はさることながら、建築にまったく興味のない白翠ですら感嘆する建築技術。
「予想以上に豪華なね、この王城。」
白翠は苦笑を浮かべると、早足に国王謁見の場へと向かった。
✴︎
✴︎
謁見の間にはたくさんの貴族たちが集まっていた。
白翠がその場に入った瞬間、人々の視線が突き刺さる。
(陛下って、一体どんな方なのかしら?興味があるわ。)
大陸最大の国、華国の国力をたった一代で倍に増やしたとされる歴代最高の賢王、青宝帝。
白翠は緊張した面持ちのまま、国王についての想像を膨らませている時だった。
「集まっているようだね。」
突如頭上からかけられた声に、謁見の間にいた者たちは一斉に上を向いた。
青みがかった黒い髪。知的だが少しいたずらっぽい黒緑の瞳。
40という年齢にはそぐわない若々しい美貌の中には一目でわかるなカリスマ性があった。
絶対な王者の威厳。
誰もがその圧倒的な存在感に飲み込まれていた。
階段を降りるその動作すらも威厳に満ちている。
「………陛下!!」
父である丞相の言葉に白翠は目を見張った。
(あの方が青宝帝……!?どうして上の階から!?)
若き賢王はいたずらを成功させた子どものような無邪気な笑みを浮かべた
「ふむ、そなたが新しい斎宮、柳美蓮か?」
突然かけられた言葉に、白翠は慌てて跪いた。
「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう。私は柳家の娘、名は柳美蓮。」
「表をあげよ。」
青宝帝の言葉に、白翠は静かに顔を上げた。
「新しき斎宮よ。そなたの力を、正しい道のために使って欲しいと思うぞ。」
「は。」
青宝帝の言葉をうけ、もう一度首を深く垂れた。
白翠が顔を上げるのをみとめると、青宝帝は扉の方にチラリと視線を向けた。
ギィ……。
突然、突然大きく開かれていく。
扉の先に立っていた青年の姿をみて、白翠は思わず息を飲んだ。
白刃のことき煌きをはなつ銀色の髪。
怜悧な光を宿す月色の瞳。
神ですら霞んでしまうほどの美貌。
青年の視線が王へと向く。
「遅いぞ、斎葵。あまり花嫁を待たせるな。」
息子の名を呼び、国王は口元に笑みを浮かべて言った。
「だまれ、クソ親父。」
美貌の青年の口から飛び出した、仮にも皇子である言葉とは思えぬ発言に、場は騒然とする。
さすがの白翠ですら呆気にとられて青年を見つめた。
しかし、当の青宝帝はまったく気にした様子もなく、むしろ楽しげに言った。
「おいおい、仮にも父親に向かってその言い草はないんじゃないか?」
「ぬかせ。俺は貴様を父親と思ったことはない、馬鹿親父。」
「やれやれ、反抗期か?」
「誰がだ!」
「あのなぁ、斎葵、お前が俺や神を憎むのはわかるがな、そう駄々をこねるな。」
「俺が神どもを嫌う元凶のてめーがいうな。」
そこで青年……斎葵の視線が白翠はに向く。
「あんたが斎宮か?はっ、花嫁だと?笑わせるな。親の言いなりになるしか脳のない小娘が。残念だったな。大方、王族のガキが欲しいんだろ?父親の命令か?ふざけんなよ?世の中そんなに甘くねーんだよ。わかったらとっとと諦めな。なぁ、柳家の世間知らずの姫さんよぉ?」
あんまりな暴言に言葉を失う白翠。
凍りついたその場が回復されることはなかった。
✴︎
✴︎
王城の一室にて。
「なんなのよっ!!あれはっ!!!世の中そんなに甘くないですって!?んなことあんたに言われなくても身を持って知ってるわよっ!!!猫もかぶれないあんたには言われたかないわよクソ皇子っ!!!」
謁見の間から帰って来た白翠は荒れていた。
「白翠ちゃん……。おいついて?」
「これが落ち着いていられるかっ!!!」
遠慮がちに言う静流の言葉を無視して続ける。
「私の忍耐力を褒めて欲しいわっ!!本当だったらあの場で弓の蜂の巣にしてやるとこだったわよっ!!別に歓迎してくれなくたっていいけど、あれはないでしょ!?あり得ないわ!!誰が世間知らずの世!?誰がっ!?」
「落ち着いてよ、白翠ちゃん。聞こえちゃうよ。」
静流の慌てたような声音にいくらか落ち着きを取り戻す。
「……だいたいなんなのよ。神様が嫌いって。そういえば、あのド腐れ皇子が来た時、だれかが『化け物皇子』って言ってたけど……。」
「それは蒼斎葵殿下が、人間ではないからだよ。」
「……人間ではない?」
「うん。」
静流は小さく頷き、言った。
「あのね、斎葵殿下は、確かに国王様の子どもで、歴とした皇子様だけど、そのお母上は、人ではなく、堕天神なんだよ。ほら、白翠ちゃんも見たでしょ?斎葵殿下の髪と瞳の色。あれは人間の持つ色素じゃない。」
「えっ、じゃああいつって、神様の血をひくってこと!?」
「うん。……堕ちた神様だけどね。」
「堕ちた神……。まさか、あの青宝帝が、神の力を取り入れるために……。」
「多分。普通の神様じゃそんなことできないけど、神子の力で縛れる堕天神なら可能だよ。」
「……なによそれ。神様をなんだと思ってるのよ!!」
「そう……だね。でも、人間ってそういうものだから。」
いつもとは違う、大人びた物言いをする静流に、白翠は不思議そうな視線を向けた。
「ところで、どうして静流はクソ皇子のことそんなによく知ってるの?それに、見たわけじゃないのに容姿を知ってた……。」
「あくまで人に聞いた話だよ、白翠ちゃん。」
にこっと子供らしい笑顔でそう返される。
「うーん。静流、なんか少し大人っぽいかも?」
「ええっ!?ひどいよ、白翠ちゃん!ぼくのこと、そんなに子どもだとおもってたの?」
「いや、だって子どもでしょ。」
「う……。ひどい……。」
ぷうっと頬を膨らませてそっぽを向く静流に、白翠は思わず吹き出した。
「ひどい!笑わないでよ!!」
「ごめんごめん。そういじけないでよ。」
笑をこらえ、白翠は優しく静流の頭を撫でた。
「……大丈夫だよ、白翠ちゃん。白翠ちゃんはぼくが守る。……だれにも渡さないから。」
「ん?何か言った?静流?」
「ううん、なんでもないよ、白翠ちゃん。」
そう言って嬉しそうに目を細めた。
✴︎
✴︎
「斎葵殿下。さっきのは言い過ぎです。斎宮さまを怖がらせてしまいます。それにあなたの評判が……。」
「うるさい!」
……わかっていた。
自分がいい過ぎたことぐらい。
それでも自分を押さえていられなかったのだ。
斎宮となる娘が、あの時の瑠璃の瞳を持つ少女とかさなったから。
花は散り
雪は溶けゆき 彼方へと
変わらぬものも なしと思へば
『あなたの髪と瞳、とっても綺麗。まるで真珠みたい。』
「っ……。」
あの時の少女は柳美蓮だったのだろうか?
あの娘が、柳家の娘なら。
自分が皇子であることをしっていたのだろうか?
だからあんなこと言ったのか?
「クソっ……。」
わかっていたはずだ。
自分に味方などいないということぐらい。
わかっていたはずなのだ。
あの娘が、あの時の少女だからといってなんなのだ。
どうせ向こうだって自分のことなど忘れている。
わかっている。
それなのに。
………どうしてこんなに胸が苦しいのだろうか?
✴︎
✴︎
「それにしてもやたらと広いわね、ここ。」
謁見が終わった次の日。
白翠はどうせなので王城を探索してみることにした。
白翠があてがわれた部屋の周辺は、客人用なのであまり人はいない。
時折侍女らしき女性たちが通るぐらいだ。
「そうだ、庭園でも見に行こう。」
東西様々な植物を見るべく、白翠は東側の庭園に向けて歩き出した。
……白翠は東側の庭園を選んだことを即座に後悔した。
太陽の光を受けてキラキラと輝く白銀色。
冷ややかな、だが恐ろしく整った顔立ち。
あの憎たらしい第三皇子、蒼斎葵がそこにいた。
すぐに引き返そうとしたが遅い。
髪と同じ白銀の瞳が白翠を捉えた。
「お前は……。」
人外の美貌に驚きが混じる。
昨日白翠に向けて散々暴言を吐いた声がその耳に届いた時、白翠の頭の中でブチッと何かが切れた。
「ごきげんよう、皇子殿下。」
顔には笑みを貼り付け、彼の返事を待たずに続ける。
「昨日はよくもまぁ初対面の相手に向かって小娘だの世間知らずだの言ってくれましたねぇ?」
白翠の予想外の言葉に白銀の瞳を見開く。
「つまり、私が申し上げたいのは、ですね…………二度と顔を見せるな甘ったれクソ馬鹿皇子。」
「…………。」
あっけに取られた様子の斎葵をみて白翠は内心ほくそ笑んだ。
(ふん、ざまぁみろ。これで私とこの男との結婚破棄、ついでに斎宮じゃなくなれば一石二鳥だわ。)
「…………お前、本当に柳家の娘か?」
斎葵の戸惑うような声音に、白翠は冷ややかに言い放った。
「おあいにく様。私は媛御子のとき、田舎に住んでたの。こーんな箱庭でそ育ったあんたなんかよりもよっぽど世の中のこと、知ってるわ。向こうじゃ馬に乗って狩りだってしたんだから。」
とくに白翠は弓が得意だった。
白翠の言葉に、斎葵はあざ笑うような笑みを浮かべた。
「はっ!どんか箱入り娘かと思ったらとんだじゃじゃ馬娘だな!」
「なんですって!?」
「昨日は猫でもかぶってたのか、山猿女。結局あんたも父親の命令には逆らえないってか?くだらねぇ。これじゃあただの親に逆らうことすらできずにいる人形とかわらねぇ。」
「はぁっ!?あんたにだけは言われたくないわ!あんただって父親から逃げられないくせに!!そうでしょうね!神の、血を王家に入れるための道具みたいね!」
白翠の言葉に、斎葵はスッと目を細めた。
「おい小娘。今なんて言った?」
「何度でも行ってあげるわよ。あんたなんか、王の道具でしかないじゃない!」
ぐいっ。
斎葵は瞳に苛烈な怒りをにじませ、白翠の襟首を掴んだ。
「っ!!」
「おい、小娘。」
底冷えのする声で斎葵は言った。
「それ以上舐めた口を叩くなよ?」
「!!」
ぱっと突き飛ばすように襟元をはなした。
勢い余って白翠は尻餅をついてしまう。
「俺は仮にも皇子だ。つまらないことで帰る場所を失いたくはないだろ?」
見下した口調に、白翠は思わずカッとして叫んだ。
「やりたきゃやんなさいよ!!どうせ私には帰る場所なんて最初からないわよっ!!」
キッと睨みつけ、そう言い放つ。
もともと望まれて生まれたわけではない白翠に、そもそも帰る場所なんてあるはずがない。
鈴祥の地だって、所詮父親に与えられた土地だ。
彼の一存次第では白翠など簡単に切り捨てられる。
「…………。」
僅かに目を見開き、斎葵は白翠を見下ろしている。
白翠はこみ上げてくる涙を飲み込み、素早く立ち上がった。
「……あんな家、消えてしまえばいいのよ。」
そう、小さく吐き捨てる。
「……。」
「……。」
気まずい沈黙が流れる。
これからどうしようかと考えていたときだった。
「……お前はもう部屋に戻った方がいい。」
斎葵の静かな声に、白翠は戸惑いの視線を向けた。
「……どうしてよ。」
「それは……。」
一瞬のと場に詰まったようだったが、すぐに白翠を見つめ返した。
「俺はこの王城であまりよく思われていない。……なにせ、王族とはいえ、汚らわしい堕天神の子どもだからな。」
何処か自嘲気味にそう言った。
「……。」
どうしてそんな顔すんのよ。
白翠は内心激しく動揺した。
そんなの気にしてないんじゃないの?
いや、違う。
もしかして。
気にしているから、皆を遠ざけたいから、あんな風に他人に冷たく当たるの?
だったら、どうして私にそんな忠告するの?
「別に汚らわしくないでしょ。」
白翠の言葉に、斎葵は銀の瞳を瞬せた。
「神様だって、そりゃあ疲れるわよ。人間の身勝手な願いばっかり聞いていれば。堕天神は、もともと人間の願いをたくさん聞いてくれた神様でしょ?なんでそんな神様のことを、助けてもらってた人間が『汚らしい』何て言えるのよ。馬鹿じゃないの?だいたい、そういう神様を癒してあげるために私たち神子がいるんでしょうが。」
人間は身勝手だ。
願いを聞いてもらうくせに、神様が疲れて願いを叶えられなくなったら汚らしいといって切り捨てる。
そういう気持ちが、白翠は一番嫌いだった。
「あんたも、お母さんのこと、『汚らしい』何て蔑むんじゃないわよ。息子であるあんたがそんなこと言ってどうすんのよ。……まぁ、あんたのこと、道具なんて言った私が言うのも何けど。……わるかったわね。」
ちょっと恥ずかしくなって来たので白翠は斎葵の顔を見ないようにくるりと背を向けた。
「ま、どうせあんたは私のこと、嫌いなんでしょ?だから私はもういくわ。お互い、もう二度と会わないように気をつけましょう?」
そう言いすて、白翠は宮殿へと足を進めた。
「……別に、嫌いじゃねえよ。」
「えっ?」
驚いて振り向くど、僅かに視線をそらした斎葵がいた。
「たしかに、俺は、俺が王族だからって媚び売ってくるやつは嫌いだ。でも、あんたみたいなやつは……別に嫌いじゃねぇよ。」
「……!!」
「か、勘違いするなよ!?ただ嫌いじゃないってだけで、好きなわけじゃない!」
目元を赤く染め、神の血を引く青年は言った。
「……だけど、あんたのさっきの言葉……嬉しかったよ。だから、その……。」
くるりと白翠に背を向け、小さい、囁くように言った。
「その……なんだ……。
…………あり、がとう。」
「っ!」
頬に熱が集まるのがわかる。
白翠は急いで斎葵に背を向けると一目散に逃げ出した。
✴︎
✴︎
静かだ。
それもそのはず。
この場所には普段は人は来ない。