こうして源太郎は再びラーメン作りを始めた。
まず屋台のラーメン屋からスタートし、やがてそこで知り合った同業者の紹介で、ある店の助っ人として雇われる。
そしてその店が、助っ人を必要としている他の同業者に源太郎を紹介。

そうやって源太郎は、お呼びが掛かればところ構わず各地を渡り歩いた。
何年も何年も、老人からの“帰れ”という知らせが来るまで。

ただ何年待たされようと、源太郎は殆ど苦にならず、また気持ちが折れるようなことはなかった。
彼自身、それが家族や店を捨てた罪滅ぼしだ、と考えている部分も確かにあった。

だがそれだけではない。
どの地に行っても、自分の作るラーメンがお客に喜ばれることで、源太郎はこれ以上ない充実感を味わっていたのである。

“みんなに喜ばれるラーメンを作りたい”

それは、源太郎自身がラーメン屋をやろうと決めたときに抱いた思いである。
彼はまさに原点に帰ったのだ。

そして待つこと30年、今日待望の知らせがついに来た。
源太郎は、いま助っ人として雇われている店の主人に深く詫びを入れ、急遽数日間の暇をもらった。
源太郎にとって、『らあめん堂』での20年よりも、あっという間の30年間であった。