「ーー北村?」
榛名は目を見開いた。
傘は自分の手から滑り落ちていて、後方から鳴らされる自転車のベルに身を強張らせた。
駆け寄る三浦がその傘を拾うと、空いている手で榛名の頭上に持ってゆく。
通りすぎた自転車には見向きもせずに、三浦が怪訝そうに凝視していた。
「顔真っ青だぞ、具合、悪いのか」
榛名は思いきり首を横に振った。その力加減が分からなくなるほどに。
「なんかちょっと、さっきから変だよ。何かあったのか」
三浦の眉間の皺が深くなる一方で、榛名は我に返った。
「何でもない」
その声は自分でもびっくりするくらい、掠れて、頼りなかった。
差されていた傘を取り返そうと、柄の部分に手を伸ばす。
雨で濡れ、冷えきったその手は、すぐに、大きな手に包まれた。
榛名は、堪らず見上げた。
強く、鋭い眼差しだった。
子犬のように怯えていた、この間の彼の影をどこにも感じさせないような、そんな眼差しだった。
唇が微かに開く。
「ーーハル、」
『ハルちゃん、』
「やめて」
瞬間、三浦の頬が強張る。
消え入りそうな声と反するように榛名の表情には、はっきりと拒絶の色が表れていた。
俯きがちになると、その睫毛が三度揺れる。
「しばらく呼ばないでほしい、ハル、って」
震える唇がそう呟いた。
「気に障ったなら、ごめん」
三浦が静かに呟くと、榛名ははっとしたように見上げ、それから勢い良く首を横に振った。
「違うの、そうじゃなくて、」
言い澱んで、それからただ茫然と自分を見つめる彼女の頬には色が差し出した。
その時、三浦は、心の内にある受け皿の要領が限界になったのを感じた。
だから、口が勝手に動いてしまった。