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あの頃、私の両親は口を酸っぱくして言ったものだ。
「彼はまだ子供だ。お前の方が稼ぎもいいくらいだろう。自分が主となって稼いで、さらに子育ても家事もするのがどれだけ大変だか分かっているのか。どうしても結婚したいというならば、それを覚悟しておきなさい」
確かにその通りだった。
最悪だったのは一年目、翔太がまだ夜泣きをしていた頃。
私は一年の産休がもらえていて、ずっと家にいた。
佑くんはまだまだ見習いのコックさんで、お店が始まる前から出勤して終わった後も仕込みだなんだで帰ってくるのは夜中だった。
翔太が四時間ごとに起きるから、私はゆっくり寝られず寝不足だった。
加えて産休中はお給料が出なくて、代わりに出る出産手当金も普段のお給料の6割程度で生活は厳しかった。
ようやく寝付いた頃に帰ってこられると、苛々が募って八当たりしたこともあった。
多分、傷つけるようなことも一杯言ってたと思う。
でもそれにも気付かないくらい自分も一杯一杯だった。
佑くんは何も言わなかったけれど、よく苦々しい顔をしていたのを覚えている。
結婚しなきゃよかったの?
そんなことも何度も思った。
あの頃、私の両親は口を酸っぱくして言ったものだ。
「彼はまだ子供だ。お前の方が稼ぎもいいくらいだろう。自分が主となって稼いで、さらに子育ても家事もするのがどれだけ大変だか分かっているのか。どうしても結婚したいというならば、それを覚悟しておきなさい」
確かにその通りだった。
最悪だったのは一年目、翔太がまだ夜泣きをしていた頃。
私は一年の産休がもらえていて、ずっと家にいた。
佑くんはまだまだ見習いのコックさんで、お店が始まる前から出勤して終わった後も仕込みだなんだで帰ってくるのは夜中だった。
翔太が四時間ごとに起きるから、私はゆっくり寝られず寝不足だった。
加えて産休中はお給料が出なくて、代わりに出る出産手当金も普段のお給料の6割程度で生活は厳しかった。
ようやく寝付いた頃に帰ってこられると、苛々が募って八当たりしたこともあった。
多分、傷つけるようなことも一杯言ってたと思う。
でもそれにも気付かないくらい自分も一杯一杯だった。
佑くんは何も言わなかったけれど、よく苦々しい顔をしていたのを覚えている。
結婚しなきゃよかったの?
そんなことも何度も思った。