美沙は深く深呼吸して、息の詰まるような沈黙を破るために口を開く。


「え・・・っと・・・」



すぐに行き詰った。

(ヤバイ)

あまりの緊張に、話す内容を考えていなかった事を忘れていた。
忘れたいのは、こっちじゃない。


(どうしよう)

美沙は今更後悔して口を噤むが、時はすでに遅し。
美沙が口を開いたことで、俄かにざわついていた教室内がしんと静まっていたのだった。



万事休す。


(ど、どどどどどうしよう)

焦りまくる美沙に、誰かの声がかけられた。

それは、決まりきった教師の綺麗事ではない。


「名前とかだけでいいと思うよ」


男子のものらしい声。
だらけたような、面倒さが滲み出た声ではけしてなく、押しが弱い、それでも優しい声だった。

誰が言ったのかは、美沙にはもちろん分からない。

教師どころか、生徒達にさえ聞こえていないようだった。
そんな、さり気無い声だった。

それでも、美沙が勇気付けられたのは、事実。
紛れも無い、ただの事実。

実際、その言葉を受けて美沙は話し出した。

「篠原美沙です。よろしくお願いします」

紋切り型のありきたりな内容だったが、それで十分だった。
「はい、じゃあ篠原さんは一番後ろの空いてる席に座って」
教師は手を抜いて、コメントさえも無かったが。


美沙は、示された場所に目をやる。
窓際の端に置かれた安っぽい机。
日焼けしそうだな、などとどうでもいいことを思いつつ、美沙はそこへ向かった。




意図したことではなかったけれど、

私の心の片隅に、

あの、優しい声が、

いつまでも残って、

再生されるたびに、

私の中の闇に、

少しだけ、

ほんの少しだけ、

あたたかさを齎した。