「どうしたの?」

彼は、固まってしまった美沙の事を覗き込んで言った。
何度聞いても、本当にあの声と同じだった。
声を聞くだけで、少しだけ幸せになれた気がした。
それなら、と美沙は思う。
もっと、もっと話したい。
もっと、もっとこの声を聞いていたい。

「ううん、大丈夫」

どんな内容でもいい。
とにかく、会話を続けたかった。
話が尽きるのを恐れた美沙は、焦りを隠せずにもう一度口を開いた。

「あの・・・誰だっけ?」

何て馬鹿なことを聞いてしまったんだろう、と美沙は落胆する。
いつも通りに、話が出来ない。
もっと、考えてから言うべきなのに。
美沙は、自分がコントロールできない事に驚いた。

「誰、って・・・」

短い言葉の後に、彼はもう一度楽しげに笑った。
打算や策略など、一切無いように思わせる笑みだった。
見ているこっちまで、自然に笑みが零れた。
あはは、と彼はもう一度笑い、言った。

「飯田一馬、もう忘れないでね」

少しばかりおどけたように一馬は言い、もう一度笑った。
その笑顔を見た美沙は、静まったはずの胸の鼓動がもう一度早まるのを感じた。

「し、篠原美沙ですッ」

噛んでしまった・・・。
生まれて初めての失態に、美沙の頬は知らずピンク色になる。

「分かってるよ・・・美沙と違って」

そう言った彼は、また楽しそうに笑った。
何時もなら、苛々する言葉。
それでも、何故か美沙は嬉しかった。

何でだろう。

どうしてだろう。

彼は、他の人と違う気がする。

私には、何も分からなかった。

「!」

いつの間にか、HRは終わっていた。
彼もいつの間にか立ち上がり、次の授業の準備をすると共に、男子の輪の中に入っていた。
美沙はふっと息をつき、走ってきた由香に目線を合わせる。

「うち最悪だったよー!周り誰も居ないしー!」

けれど、由香の言葉も美沙の頭には入ってこなかった。
佳織は思い出させるように言う。

「次、数学だよー」

「うわ、どうしよ」

由香は慌てて走り去って行く。
美沙は、それをただ虚ろな目で眺めていた。

数学が始まっても、その次の授業も、休み時間も。
一日中、美沙はどこか上の空のままだった。