霞む意識を取り戻したのは、柔らかい皮で出来た黒地のソファーの上。
質素な部屋で、目の前にはガラスのテーブルと、似たようなソファーがコーナーの形で置かれていた。
女以外誰も居ない部屋を照らしつけるのは部屋の小さな「魔電灯」<マジックライト>で出来たシャンデリアだけで、五つほど多めにつけられた窓には全て決して豪華ではないがどこか品の良さを感じさせる赤と金の配色が施されたカーテンで閉められている。
「起きたね」
入ってきたのは、「風神」と名乗る男。
コツコツと革靴を鳴らしながらソファーに手をかけ、腰掛けた。
どれほど眠ってしまったのか、カーテンが閉められ、珍しい事に時計が無いこの部屋では時間感覚を麻痺させる。
「君が眠っていたのは、1時間ほど…正確には、はかってないんだけどもね」
何故、私の考えている事が分かったのだ、そんな顔を知らずにしていた女をみて「風神」と名乗る男はクスリと笑いながら、普通思わず寝てしまったら一体何時間寝てたんだ、って気になるでしょ、と眉を八の字にして説明をした。
「ところで、君、名前は?」
「風神」と名乗る男は持っていたワインをテーブルに起き、ソファーに深く腰掛け足を組む。
「私は…カンナヅキ。カンナって呼んで」
女の名前は、カンナヅキ。
カンナヅキは、少し声のトーンを下げた。小さい頃あんなにもよくしてもらった「風神」に忘れられた、という気持ちが強く胸を打った。
そんなカンナヅキを知ってか知らずか、「風神」と名乗る男は次の質問のため、口を開いた。
「カンナは、ツキビト族だよね?」
カンナヅキの胸の中の何かが、熱く溶けるようにしてじわっと広がった。
「え…忘れたの⁇…私を」
カンナヅキは、随分容姿は変わっているけど、と頭の中で付け足す。
それでも、気づいてほしかった。忘れていないでほしかった。
「風神」だけを目的にあの暗く狭い怖い場所から逃げ出したというのに。
今までの「風神」という存在だけにすがっていた自分が、酷く無意味な存在に成り果てたような気がした。
「質問に、答えて」
「風神」と名乗る男の声のトーンが下がる。静かに、威圧をかける声に変わった。
それだけでカンナヅキは恐怖を覚え口が一気に乾く代わりに手のひらは熱くじとりとした汗がにじむ。
「そうだけどっ、ねぇ、私が小さい頃に会ったじゃない、それは忘れたの⁉︎」
「風神」と名乗る男の質問に答え、今度はカンナヅキが質問をした。
否、質問というよりも、確認。懇願。
忘れてないよね、忘れないで。
皮のソファーに爪が食い込む。
「風神」と名乗る男は、ニヤリと口角を上げた。