「実際にあるかどうかもわからない伝説。
そんな伝説を信じて願掛けするほど、詩月には叶えたい願いがあるんだ。
お前にはないのか」



「わたしは……ずっと周桜くんが目標だったの。
周桜くんを目標にして……」



理久が舌打ちをする。
険しく鋭い目が郁子を睨む。



「次元が違うな。
数年前のピアノコンクール。
詩月はお前の『雨だれ』にショックを受けたけど、お前を目標になんてしていなかった。
お前をずっとライバルだと思って……。
お前のことを話す時、詩月はいつだって楽しそうで真剣なのに」



郁子は理久の険しい顔を見つめたまま黙りこむ。



「詩月が、お前のことを何て言ってるか知ってるか?
『額田姫王』と呼ぶんだ」



「額田?」



「飛鳥時代……万葉集の歌人だ」



郁子は首を傾げ、理久を見る。