――だいたい国語の学習において、
誰とも知らない中年の戯言の解釈を題材とすることが果たして良い事なのだろうか。
古文や漢文は受け入れよう。偉大と称するも憚られる先祖が学んで取捨選択してきた英知の塊だ。近代現代の著名な詩文も目を通そう。人が好むところの構成や表現を学ぶことには意義がある。
しかし一体、誰なんだ、この中年ハゲは』


昼休み後の5限目の授業中。

私は睡魔と眠魔の狭間。

しかし追原君は眠くないらしい。

腹が膨れると眠くなるという法則も、
追原君には効かない様子。


加えて言うと、
追原君は現代文の評論が嫌いらしい。

普段は殆ど会話しない彼が、
評論の授業時には饒舌に毒づいている。

心の中でだけど。


何気なく右斜め後ろ、
具体的には右にひとつ、
後ろにふたつの席をちらと見る。

追原君の周りに、
緑色のモヤが揺らいでいる。


緑色は、悪戯心の色。


いつものように無表情な顔で
ペンを走らす追原君は、どうやら
教科書に落書きをしているらしい。

自分の教科書に視線を戻し、
数ページめくって見つけた筆者の頭は、
なるほど光り輝いていた。

それにしても、これほど
テンションの高い追原君は珍しい。

『ふふふ、まるでポルトガルより伝来した
宣教師が如き髪型だ』

「…………」

どうやら筆者は、
イエズス会のフランシスコ・ザビエル
が如き風貌となった模様。

しかし、眠い。