ラブソングは舞台の上で




眠る直前、ふと思い出して尋ねてみた。

「晴海、誰に呼ばれてあの合コンに来たの?」

クソオヤジさん本人か、彼がたぶらかした女子大生か。

もし本人だったら彼がどんな人か聞いてみようと思っていたのだが、予想外の答えが返ってきてしまった。

「あー、あれは卓弥さんだよ」

「えっ? うそ、卓弥さん?」

ちょっと待って。

それって、クソオヤジさんの正体は卓弥さんだってこと?

「元々は卓弥さんが男側の幹事だったんだよ。でもデートが入って出られなくなったからって、ヒロイン探してる俺に回ってきたんだ」

「なるほどね」

詩帆さんより結構年上、女好きのろくでなし。

そういえば忘年会の時、その足で海外へ行くと言っていたけれど、もしかして詩帆さんとパリに行ってたんじゃ……。

バッチリつじつまが合っている。

私は今、すごい二人の間に立たされているのかもしれない。

卓弥さんと詩帆さん。

二人とも異性関係に問題はあるが、お似合いのカップルだ。

本人は認めないけれど、詩帆さんは卓弥さんが大好きだ。

卓弥さんを愛しているから、誰のものにもならない。

卓弥さんは詩帆さんのこと、どう思ってるんだろう。

性欲が落ち着いたらハゲる前に結婚したいと言っていた。

願わくば、その相手が詩帆さんでありますように。

詩帆さんには幸せになってほしい。






3時間弱の睡眠から自分を叩き起こす。

隣で眠っている半裸の晴海を起こさないようにベッドを抜け、急いで出社の準備。

シャワーを浴びに浴室へ入って驚いた。

「なにこれ!」

右の乳房の内側に、くっきり浮き出ている赤い痣。

これってもしかして、噂のキスマーク……?

お湯で流しても石けんで磨いても落ちないそれは、晴海の独占欲の化身のようで、照れくさいけれど愛を感じた。

体は重いが心はどんどん舞い上がっていく。

着替えたり髪をセットしたり、メイクをしたり……。

時間がなくてバタバタしたけれど、晴海は爆睡していて一向に目覚める気配はない。

あれだけしたのだから、仕方ないか。

私は鍵をテーブルに置き、

『鍵は1つしかないから、あとで返してね』

と置き手紙を書く。

そしてスヤスヤ気持ち良さそうに眠っている晴海の寝顔を携帯で撮って、頬に軽くキスをした。

なんかこういうの、初めてだな。

ベタなことをやってる自分が恥ずかしいけど、悪くない。

私はいつものバッグと稽古の着替えを持って、緩んだ顔で部屋を出た。


出社し、制服に着替え、ロッカーを閉めて鍵を社員証ケースに収める。

寝不足のせいで目が乾燥していたが、大きなあくびで潤った。

「おはよう」

いつもより少し遅れて詩帆さんが出社。

彼女も少し疲れているように見える。

「おはようございます。二日酔いですか?」

昨日はたくさん飲んでいたから、ちゃんと帰れたか心配だったのだ。

自分が家に着いてからメールして確認しようと思ってたのに、晴海が来たからすっかり忘れていた。

「違うの。昨日明日香をバスに乗せた後、クソオヤジに車で迎えにきてもらったんだけどさ……」

あ、卓弥さんが来てくれたんだ。

なら安心。

「オヤジさんを足に使ったんですね」

「そのつもりだったんだけど、結局オヤジの家に連れ帰られて。あんまり寝かせてもらえなくて……ふわあぁぁ」

下の歯の銀歯が数えられるほど大きなあくび。

していたことは、私たちと同じってことですか。

……とは、もちろん言わないけど。

「でも、服は昨日と違いますね。いったん自宅に帰ったんですか?」

「ううん。服とか化粧品とか、オヤジん家にいくつか置いてあるからさ」

なーんだ。

部屋に私物を置いてるなんて、ちゃんとラブラブじゃないですか。

「半同棲みたいですね」

「やめてよ。ただの腐れ縁なんだから」


詩帆さんは笑いながら着替えを始めた。

私はぼんやり更衣室のベンチに座って詩帆さんと喋っていたのだが、詩帆さんがかがんだ時に見てしまった。

広く開いたデコルテラインから見えた、黒のセクシーなブラ。

覆いきれずにはみ出している、無数の赤い斑点。

私はそれとよく似たものを、今朝浴室で見た。

「詩帆さん、それ……」

思わず指摘すると、詩帆さんは眉間にしわを寄せた。

「ああ、これ? 時々付けられて困るのよ。デート断らなきゃいけなくなるし」

サッと素早くブラウスのボタンを締める。

「オヤジさん、本当は詩帆さんのこと独り占めしたいんじゃないですか?」

「私にもオヤジを独り占めさせてくれるんだったら、それでいいんだけどね」

相手は性欲が落ち着くまで女遊びを続けると宣言している男だ。

そうはいかない……か。

なのに自分は詩帆さんを独り占めしようだなんて、勝手すぎる。

そんな男のどこがいいの?

顔? 顔なの?

それとも晴海が私だけにちょっぴり意地悪なのと同じで、卓弥さんも詩帆さんにだけ見せる顔があるのだろうか。


「あいつ、仕事と女遊び以外にも副業とか色々やってるみたいで、私にも得体が知れないのよね」

「副業、ですか」

「うん。パソコン部屋に変な機械がたくさんあってさ。それを使って何か作ってるらしいんだけど、よく知らないの。教えてくれないし、難しそうだからあんまり興味もなくて」

それってもしかしなくても、作曲と音響のための機材なんじゃ……。

副業って、劇団エボリューションの曲作りのこと?

どうやら詩帆さん、卓弥さんが作曲家をやってることを知らないようだ。

もしかしたら秘密にしているのかもしれない。

私が卓弥さんとお知り合いになっていることは、まだ打ち明けない方が良さそうだ。

「そういえば明日香も寝不足顔ね」

ギクッ……。

「ちょっと、眠れなくて」

私たちのことは、またそのうち改めて話すことにしよう。

今は詩帆さんと卓弥さんの板挟みになってしまった状態に、静かに慣れたい。

もちろん、私は詩帆さんの味方だけれど。








第13幕:ドレスの重量







待ち合わせは午後7時過ぎ。

いつものショッピング施設の1階。

晴海は朝とは違う服を着て現れた。

顔を合わせると昨夜のことを思い出し、二人して照れる。

「鍵……返すわ」

「え、あー、うん。ありがと」

テーブルに置いておいた鍵が、返ってきた。

私はそれを握りしめ、小さな金属に移った彼の熱を冷たい指に吸収した。

間接的に手を繋いでいる感覚を覚え、余計に昨夜を思い出す。

「あのさ、明日香」

落ち着いた声で呼ばれた名前。

「は、はいっ」

なにか大事なことを言うのだと察知して恐縮する。

「千秋楽まで待てずに色々順番が前後したけど、俺たち、ちゃんと付き合おう」

周りに人がたくさんいるのに、晴海は潔く堂々と言ってのけた。

隣の柱に寄り掛かっていた女の子は私たちの会話を聞いていたようで、驚いている。

そんなことを言ってもらえるなんて思っていな
かった。

私たちは確かにお互いに好き合っているし、昨夜に至ってはセックスまでしたけれど、関係はこのまま曖昧にするのだと思っていた。

晴海には、舞台が終わるとすぐに華やかな新生活が待っている。

田舎くさい私なんかが彼の気持ちをキープできるほど、恋愛は美しいものではない。

だけど、付き合おうと提案してきたということは、その努力をしてくれるということだ。

それが嬉しくて、涙が出る。

「うん!」

何度も頷いて答えると、晴海が笑顔になった。

「泣くなよ」

「だって、嬉しくて」

「俺も嬉しい。遠くに行く男なんかと付き合えないって言われたらどうしようとか、思ってたからさ」

涙で崩れたメイクのお直しに時間を費やしたため、復帰当日から時間ギリギリでの稽古場到着になった。


「お騒がせしてすみませんでした」

二人で劇団のみんなに頭を下げる。

昨日晴海が散々怒られてくれたから、笑って許してくれた。

「明日香ちゃーん! よかったぁ!」

ともちゃんが抱きついてくる。

「ありがとう。ごめんね心配かけて」

「もう晴海ちゃんの言うことなんて無視していいからね」

ともちゃんがチョコを捨てずに晴海へ渡してくれたから、仲直りもできたし劇団にも戻ることができた。

感謝のしるしに、今度何か可愛いものでもプレゼントしよう。

「で、どうやって仲直りしたんだよ?」

タカさんはいやらしい笑みを浮かべて晴海をイジり始めている。

「普通に謝りに行っただけです」

「ふーん、どんな感じで謝ったのかなー」

「もう覚えてないっすよ!」

晴海にビンタをお見舞いした恵里佳ちゃんは、大学入試のため東京へ行ってしまったそうで、今日は欠席。

既に推薦入試で県内の大学へ進学することが決まっている堤くんが寂しそうにしている。

彼は私と目が合うと、軽く会釈をして笑顔を見せてくれた。

それからすぐに携帯を操作していたから、きっと私の復帰は恵里佳ちゃんにも知らされているだろう。

「おーい、始めるぞー」

高田さんがやって来た。

高田さんは私がいるのを確認すると、「ふん」と軽く笑って集合をかける。

「無事にアンジェラが帰ってきたところで、今日はお前らお騒がせ組は罰ゲームだ」

「罰ゲーム?」



私と晴海は顔を合わせ、首をかしげた。

迷惑をかけてしまったことは事実だから、罰があると言われれば、甘んじて受けよう。

……そう思っていたのだが、高田さんの言う「罰ゲーム」は、精神的にかなりキツいものだった。

「違う違う。もっと色っぽく、しなやかに。ガバッといって、じっくり近付くんだよ」

端的に表すのなら、キスシーンの練習。

実質を示せば、羞恥プレイとも言える。

舞台では実際にはキスしない。

フリだけするのだが、これがなかなか難しい。

美しいシーンにするためには、それなりに美しくキスの動きをしなければならない。

加えて、どの客席から見ても触れているように見えなければならないから、かなりギリギリのところまで顔を近づける。

私は目を閉じ受け身になっているだけでいいが、晴海は私を支えながら距離感まで掴まねばならない。

「もっと近く」

「えっ? これ以上?」

「なんなら実際にしてもいいんだぞ」

「えっ! えっと、それは……」

晴海は何でもすぐに顔に出るから、私たちがデキていることなど、さっき私たちが稽古場に入ってきた時からみんな察している。

その上で、こうしておちょくられているのだ。

「はい、もう一度遠慮がちに抱き合うところから」

またやるの?

……なんて怖くて言えないけど。