ラブソングは舞台の上で


詩帆さんはどれくらいの頻度でオヤジさんと会っているのだろう。

他の男の話を聞くからあまり頻繁ではないような印象を受けるが、実際は定期的に会っているのでは?

聞いてみたいけれど、オヤジさんについて突っ込んだ質問をするのは勇気がいる。

「最近よくクソオヤジが話題に上がるね。会ってみたくなった? オススメしないよ」

詩帆さんはニコニコ笑顔でグラスを空けた。

すかさず店員に次の酒を注文する。

もう7杯目だ。

女二人で男の愚痴を肴にすると、酒が進む。

すっかり酔ってしまった。

私はまだ2杯目だけれど。

「詩帆さんが彼と結婚するなら会います」

「しないと思うよ」

「だったらどうしていつまでも関係を続けてるんですか?」

「わかんない。こないだ言ったでしょ。気付いたら入ってるの」

入ってるって……。

私はチョコレート売り場でのことを思い出して慌てて周囲を見回す。

だけどここは居酒屋だ。

近くに純朴な中学生はいない。

「きっと他の女も同じ手口で食ってんのよ。大人になると恋愛と肉体関係がどんどん離れていって面倒よね」


彼女は当たり前のようにしみじみと語るが、離れているのはごく一部の人だけだと思う。

「私は本当に好きな人としかしないし、付き合いませんよ」

「そんなのもったいない」

もしかして、私の方がマイノリティなの?

一般的には、好きな人以外ともしてみるものなのだろうか。

もったいないと言われてしまうほど、自分が損をしていると感じたことはない。

詩帆さん以外の人とはこんな話をしないから、判断できないけれど。

それに、今は。

「好きな人とですら、縁がないですし」

晴海とは千秋楽を待たずに破局を迎えてしまった。

「例の彼とのこと?」

「はい」

私がため息をつくと、詩帆さんは新しく受け取ったグラスをコースターにドンと置いて、少し大きく息を吸った。

「自分が誘って散々巻き込んできたくせに、独断でクビにするなんて頭おかしいのよ、そいつ。ていうか学生だし、ゆとりだし、周りが見えてない責任知らずのガキね。これから就職して上の人間に散々罵倒されて、ちょっとした一言でキレたりしない程度は精神的に大人になってから出直してこいっての。つーか学生の分際で働いてる女の貴重な自由時間を自分のために使わせようだなんて、厚かましいったらありゃしないわ」


一気に言い終えた詩帆さんは、

「でしょ?」

という顔で私を見る。

本当に、詩帆さんの言う通りだ。

私が思ったことや考えていることを口に出すのが苦手なのをわかっているから、代わりに(思っている以上のことを)言ってくれた。

吐き出せなかった鬱憤が出ていったような感じがして、心がスッとした。

「って、そのガキに直接言ってやりなよ」

「え?」

無理です。

好きだとすら言えなかったのに。

「お互いの良い関係のために、言いたいことを我慢しなきゃいけない時は多々あると思う。だけど、どうせ上手くいかない関係なんだったら、遠慮なく思ったこと言う方がいいよ」

「でも、もう会うこともないと思いますけど」

たぶん、一生。

「もし会えたらの話よ。私だってクソオヤジの女遊びが判明したときは、もう一生会うことないと思ってたけど、結局今に至るんだからね。気持ちが繋がってると、どんなに揉めたって離れられないもんなのよ」

気持ちが繋がっていれば……か。

果たして私と晴海の気持ちは、繋がっているんだろうか。

私に「出て行け」と言ったときの晴海の顔を思い出す限り、繋がっている気は全くしない。

「なんだかまた泣けてきました」

「またブス顔で会社に来るつもり?」

「そしたらまた詩帆さんに直してもらいます」








まだバスがあるうちに、帰路についた。

コンビニで飲み物を買いたくて、ひとつ前のバス停で降車。

目当ての炭酸飲料を買って、我慢できずに飲みながら自宅へ向かう。

しかし2月中旬の空気はまだ冷たくて、すぐに飲み物を袋に戻し、手をポケットに突っ込んだ。

コツコツ歩くリズムが卓弥さんが作ってくれたバラードと同じで、ついつい小声で歌ってしまう。

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出会った日には 気付かなかった

あなたのあふれる魅力

何度も会ううちに 惹かれていった

私の気持ちは止まらない

明日も一緒に 過ごす夢を見る

嘘はつけない 自分に あなたに……

あなたのことばかり考えてるの

夜も眠れないことだってあるわ

この気持ちを隠していると辛い

だから打ち明けるわ あなたが好きよ

愛しているわ

—————

この曲のタイトルは「ラブソング」という。

私がマーティン役の晴海の顔を愛おしそうに見つめながら歌うはずだった曲だ。

そして、この曲には2番があって、マーティンからアンジェラのアンサーソングになっている。


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僕は正直 驚いているよ

君も同じ気持ちなんて

片想いだと 諦めてたんだ

だけどもう我慢しない

君の微笑み 仕草

全てが心 掴む

嘘はつけない 自分に 君に……

君のことばかり考えてたよ

夜も眠れないことだってあるさ

この気持ちを隠していると辛い

僕も打ち明ける 君が好きだよ

愛しているよ

—————

晴海が私を愛おしそうに見つめながら歌ってくれるはずだったこの曲。

彼の歌う姿を見て密かに胸をキュンとさせていたのに、もう見られないのか。

この歌はその後、ハモりを入れた掛け合いのデュエットになる。

束の間の愛を確かめ合って、その後すぐに別れることになる悲しいラブソング。

「だから打ち明けるわ あなたが好きよ……」

歌い終わったのと同時に、アパートの前へと到着した。

歌っている間は頭の中がアンジェラモードだったのだが、ふと思い出す。

この歌はもう、私の曲ではない。

フッと息をついて2階を見上げると、誰かが手すりに寄りかかって、こちらを見ているのに気付いた。

小声だったけれど、歌っていたのを聞かれてしまったかもしれない。

だとしたらすごく恥ずかしい。

この寒い中、そんなところで何やってるんだろう。

彼のいるところを通らないと、私の部屋には帰れないのに。

などと思っていると。


「明日香。遅い」

聞き覚えのある声に、足が止まった。

声がした方を見上げると、私の歌を聞いていたと思われる男が、私を見下ろしていた。

晴海だった。

私は立ち尽くし、酔っ払った頭で記憶を手繰り寄せる。

こいつに会ったら言ってやらなければならないことがあったはずだ。

ええっと、なんだったっけ。

「晴海……なにしてんの、そんなとこで」

自分が誘って散々巻き込んできたくせに、独断でクビにするなんて頭おかしいんじゃないの。

「明日香を待ってたんだよ」

学生だし、ゆとりだし、周りが見えてない責任知らずのガキね。

「何か用?」

これから就職して上の人間に散々罵倒されて、ちょっとした一言でキレたりしない程度は精神的に大人になってから出直してこいっての。

「みんなに、明日香を連れて帰らないと殺すって言われた」

つーか学生の分際で働いてる女の貴重な自由時間を自分のために使わせようだなんて、厚かましいったらありゃしないわ。


「あっそ。勝手に殺されてよ」

「それでもいいと思った。俺、主役失格だし、勝手にキレて明日香追い出して、ろくでもなかったからさ」

晴海はそう言って、それを見せるように手すりの外側に出してきた。

オレンジっぽい照明のせいで全然違う色に見えるが、あの紙袋を見間違うはずがない。

「ちょっと、それ……!」

ともちゃんに処分をお願いした、バレンタインのチョコレートだった。

なんで晴海が持ってるの?

ともちゃん、捨ててくれなかったの?

「泣くほど美味かった」

「たっ、食べたの?」

「そりゃ食うよ。好きな女が俺のために作ったチョコなんだから」

ということは当然、中の手紙も読んだはずだ。

どうしよう。

手紙には私も晴海が好きだと書いてしまっている。

「俺、前に付き合ってた女に“売れない役者と付き合ってるみたいで恥ずかしい”って言われたことがあって、明日香が言った“恥ずかしい”を完全に誤解してた。明日香の性格は理解してるつもりだったのに、あの時は見失ってた」

だけど私の手紙を読んで、その真意に気付いた……と言いたいわけか。

紙袋が風で揺れる。

「ごめん。本当に酷いこと言った」

私たちの気持ちは繋がっていた。

でも、だからって簡単に許してやるもんか。


「何よ今さら。あんた、私の話なんて聞こうとしなかったくせに、虫が良すぎるんじゃないの?」

「それは本当にごめん。頭に血が上ってた。俺は明日香と主演をやりたい。だって、明日香は俺が見つけたヒロインだし」

「そんなの知らない。最終的に恵里佳ちゃんを選んだのは晴海でしょ」

「断られて殴られたよ」

夕方のともちゃんとの電話を思い出す。

きっとあの時だ。

「ほんと、ヒロインをナメてるよね」

「ごめん」

「私の努力、全部無駄になった」

「無駄になんかしないよ」

ひたむきに私を説得しようとする晴海の姿に、心がムズッとした。

この寒い中、いったいどれだけの時間私を待っていたんだろう。

そろそろ許してあげてもいいのかもしれない。

「もう、あんたに振り回されるのやだよ」

「明日香……」

切ない表情で名前を呼ばれると、頭に普段なら絶対に浮かばないようなフレーズが思い浮かんだ。

だけどそれを口に出すのは、あまりにも恥ずかしい。

だけど、晴海の次の一言で、そのフレーズは簡単に口から漏れていった。

「好きだよ」

「じゃあ、キスして」



強い風が吹いた。

もう春一番が吹く時期に差し掛かったのだろうか。

顔に当たる風が冷たくて、思わず目を閉じて顔を背けた。

目を開いたときには晴海が階段を下りていて、次の瞬間には私も駆け出していた。

互いの距離がなくなると、彼の手が私の後頭部に当てられ、条件反射で目を閉じる。

唇が触れ合っていた数秒間は、風の音も冷たさも感じなかった。

いったん離れると、思い出したように唇が冷える。

「するつもりで、来たんだよ」

もう一度触れて、手を引かれる。

手早く鍵を開け、扉の中へ。

二人きりの世界に飛び込んだような気がして、止まらなくなった。

単身者用アパートの狭い玄関。

靴も脱がずにきつく抱き合い、貪るようにキスをする。

くっついていたい。離れたくない。

いっそのことひとつになってしまえたらいい。

心が熱くて身が溶けてしまいそうだ。

私が段差につまずき転びそうになったタイミングで、やっと靴を脱ぎ、室内へ。

私たちはどちらからともなくベッドへ転がり込んだ。