「ミュージカル? 牧村さんの知り合いが出るの?」
工場長が尋ねる。
「はい。実は私、ヒロインとして出るはずだったんですけど……」
「ええっ?」
事務所内が一気に湧いた。
みんなが驚く気持ちはわかる。
今までみんなとカラオケにさえ行ったことがない私が、人前で歌って踊ろうとしていたのだから。
ざわざわしてますます落ち着かない。
「でも、色々あってクビになっちゃったんで、私は出ません」
ええ〜、なんだー。
牧村さん出ないの?
所々から落胆の声が聞こえてくる。
惜しむ声が聞こえて、胸が高鳴った。
こんな私でも、興味を持ってくれているの?
もし私がもう少し早く勇気を出していたら、私が出演すると言って宣伝できていたら、彼らは喜んでくれたということだろうか。
「私は出ませんが、結構おもしろいので、都合が付く方は是非。今私の手元には10枚あるので、先着10枚はお代を頂きません。よろしくお願いします。衣装がキレイなので女の子のお子さんは喜ぶと思いますし、恋愛要素もあってデートにもオススメなので、奥様や彼女さんを誘ってみてください」
ノルマ分くらいは私がお金を出せるし、宣伝し続ければ10席くらいは埋められるだろう。
私はもう出ないけれど、舞台は成功してほしい。
興味を持ってくれた人が楽しんでくれたら嬉しい。
ううん、きっと楽しんでくれるはず。
だって「マリッジ・ブレイク」は、台本を読んだだけでもおもしろかったもの。
卓弥さんの楽曲だってレベルが高いし、それを高度に表現できる役者だっている。
見てもらわないと、もったいない。
……出たかったな。
あと何回後悔するんだろう。
この日の夕方、詩帆さんに
「飲み行くよ! 車置いてくるから、時間潰してて」
と言いつけられた私は、久しぶりにゆっくり買い物にやって来た。
いつも晴海と待ち合わせしていたショッピングモールは、バレンタインが終わり、落ち着きを取り戻している。
もうすぐ約束の時間……7時ちょっと過ぎだ。
2階から1階の待ち合わせ場所を見下ろしてみる。
もし晴海が来たら……などと想像してみるが、7時10分を回っても、15分を回っても、20分を回っても、晴海は現れなかった。
未練がましい私は、それでもそのうち遅れて晴海がやってくるのではないかと期待して、手すりに寄りかかって見下ろしていた。
そして7時半を過ぎた頃、私の携帯がパンツのポケットで震え始めた。
詩帆さんが来たのかと思って急いでポケットから抜き取るが、画面には
『柿谷智子』
と表示されている。
「もしもし」
「明日香ちゃん! 一体どうなってるのっ?」
高い声が耳にキーンと響く。
私はいったん電話を耳から離して、もう一度耳に当てる。
どうやら私がクビになった話が、彼女にも伝わったらしい。
「私、クビにされちゃって」
「聞いたよ。今それですごく揉めてる。何があったの? 明日香ちゃんを連れ戻せって言っても、晴海ちゃんは断固として拒否するし、もう殴られそうな勢いで……あっ」
「どうしたの?」
「恵里佳が一発殴った」
その光景が目に浮かぶ。
私のせいでみんなに迷惑をかけて申し訳ない。
電話の後ろで晴海を責める声が聞こえる。
これ以上彼を悪者にしてしまうのは心が痛い。
私が羞恥心を感じていたことは、じきにみんなにも伝わるはず。
そうなれば、きっとみんなも同じように私に怒りを覚えるのだろう。
劇団を去る私こそ、憎まれ役になるべきだ。
「ごめんね、ともちゃん。私が悪いの。晴海は必死に頑張ってたのに、私がそれを踏みにじるようなこと言っちゃったの」
「そんなの信じられないよ。明日香ちゃん、ずっと必死だったもん」
「うん。必死だったけど、精神的に未熟すぎた」
「そんなことない! どうせ晴美ちゃんが勝手に怒ってるだけなんでしょう?」
稽古場の情景を思い描いていると、ふとあることを思い出した。
「あ、ともちゃんにひとつお願いがあるんだけど」
「なに? 何でも言って」
私はともちゃんに、チョコレートの回収をお願いした。
冷蔵庫の中だからすぐに腐敗することはないと思うけれど、このまま悪臭を放つまで放置されると思うとどうしても気がかりだ。
それに、後になってあの手紙を読まれるのも……。
「中身は出したりせずに、こっそり紙袋ごと破棄してね」
そう念押ししたけれど、それがバレンタインのチョコであることは一目瞭然だろう。
誰に渡すチョコだったかも、察するはずだ。
あんなもの、今さら晴海の目になんか触れさせたくない。
晴海へ
晴海とは出会って2ヶ月ちょっとしかたっていないのに
もうずっと一緒にいるように錯覚しています。
この短い間に色々あったね。
晴海はいつも私の本心を見抜いて
絶妙な加減で私の背中を押してくれるから
この年にして自分が少しずつ変わっているような気がします。
ありがとう。
文字にするのは恥ずかしいけど、私も晴海が大好きです。
明日香
こんなことになるのなら、手紙なんて書かなければよかった。
思い出すだけで恥ずかしい。
どうか、誰の目にも触れずに燃えてしまいますように。
第12幕:舞踏会の真実
晴海と出会った合コンには、詩帆さんに半ば騙されるような形で参加させられたものだった。
詩帆さんが連れてきた他の女性二人とは初対面だったし、男性陣も初対面同士がいるような雰囲気だった。
記憶が確かなら、学生は晴海だけだったはずだ。
晴海は一体、どういった繋がりであの会に参加したのだろう。
今となっては確認する手だてすらない。
……そう思っていたのだが。
「あー、あの合コンね。男はクソオヤジに集めさせたの」
詩帆さんの言葉に、私は危うくカシスソーダを吹き出してしまうところだった。
「え? ほんとですか?」
ということは、晴海もクソオヤジさんの知り合いだということ?
「ほんとほんと。本人は来なかったけど、期待してたよりバラエティー豊かだったね。まさか学生まで来るとは思ってなかったけど」
「オヤジさんとは結構年が離れてますよね。どんな繋がりだったんだろう」
私がそう呟くと、詩帆さんは全てを悟っているような、あるいは呆れているような、複雑な顔をした。
「手を出した女子大生の友達か何かでしょ、どうせ」
「……なるほど」
詩帆さんはどれくらいの頻度でオヤジさんと会っているのだろう。
他の男の話を聞くからあまり頻繁ではないような印象を受けるが、実際は定期的に会っているのでは?
聞いてみたいけれど、オヤジさんについて突っ込んだ質問をするのは勇気がいる。
「最近よくクソオヤジが話題に上がるね。会ってみたくなった? オススメしないよ」
詩帆さんはニコニコ笑顔でグラスを空けた。
すかさず店員に次の酒を注文する。
もう7杯目だ。
女二人で男の愚痴を肴にすると、酒が進む。
すっかり酔ってしまった。
私はまだ2杯目だけれど。
「詩帆さんが彼と結婚するなら会います」
「しないと思うよ」
「だったらどうしていつまでも関係を続けてるんですか?」
「わかんない。こないだ言ったでしょ。気付いたら入ってるの」
入ってるって……。
私はチョコレート売り場でのことを思い出して慌てて周囲を見回す。
だけどここは居酒屋だ。
近くに純朴な中学生はいない。
「きっと他の女も同じ手口で食ってんのよ。大人になると恋愛と肉体関係がどんどん離れていって面倒よね」
彼女は当たり前のようにしみじみと語るが、離れているのはごく一部の人だけだと思う。
「私は本当に好きな人としかしないし、付き合いませんよ」
「そんなのもったいない」
もしかして、私の方がマイノリティなの?
一般的には、好きな人以外ともしてみるものなのだろうか。
もったいないと言われてしまうほど、自分が損をしていると感じたことはない。
詩帆さん以外の人とはこんな話をしないから、判断できないけれど。
それに、今は。
「好きな人とですら、縁がないですし」
晴海とは千秋楽を待たずに破局を迎えてしまった。
「例の彼とのこと?」
「はい」
私がため息をつくと、詩帆さんは新しく受け取ったグラスをコースターにドンと置いて、少し大きく息を吸った。
「自分が誘って散々巻き込んできたくせに、独断でクビにするなんて頭おかしいのよ、そいつ。ていうか学生だし、ゆとりだし、周りが見えてない責任知らずのガキね。これから就職して上の人間に散々罵倒されて、ちょっとした一言でキレたりしない程度は精神的に大人になってから出直してこいっての。つーか学生の分際で働いてる女の貴重な自由時間を自分のために使わせようだなんて、厚かましいったらありゃしないわ」