「へーぇ。意外! 超意外!」
どうせ似合わないですよ。
だから言いたくなかったのに。
当時も目立つタイプじゃないのに意外だねって、ちょっとバカにしたような感じでよく言われていた。
高校生バンドは、目立ちたいタイプの人たちがカッコつけるために始めたグループがほとんどで、その多くが自己満足の演奏だったし、耳が痛くなるくらい下手くそだった。
私のいたバンドは質の高い演奏をするのを目標としていたし、下手なくせに私たちをバカにしていたやつらを見返したくて、私は必死に歌を練習した。
その成果が、この歌唱力というわけだ。
「明日香、歌は好き?」
晴海の問いに、私の胸がドキッと反応した。
「うん、好き」
好きじゃなきゃ、バンドのボーカルなんてやってない。
本当はカラオケだって歌いたいけど、我慢しているのだ。
「じゃあさ。歌おうぜ」
鼓動が強くビートを刻んでいる。
「ステージの上で、思いっきり」
私は彼の笑顔と心臓のリズムにつられて、こくりと頭を振ってしまった。
「よろしく、マイヒロイン!」
第2幕:見透かす主人公
週明け、月曜日。
寒さで朝が辛いけれど、なんとか体を起こして身支度をし、出勤した。
私が勤めているのは、大手企業の子会社に属する、金属加工工場だ。
と言っても、私がやっているのは事務仕事だから、危険の多い製産現場に立ち入ることはほとんどない。
勤務時は制服を着用するため、出勤時の服装は自由。
女子のみが利用する更衣室で制服に着替え、寒いときはその上から男性社員とお揃いの作業服を羽織る。
うちの制服は、工場の割に可愛いのが自慢だ。
控えめなネイビーチェックのベストとスカートに水色のブラウス、そしてポイントにバーガンディーとネイビーのストライプリボン。
作業服もネイビーを基調としたデザインで、左胸のポケットの上には、「牧村」とピンクの刺繍が施されている。
ロッカーの施錠し、鍵は首に下げる社員証ケースの中へ収める。
これで着替えは完了。
更衣室を後にする。
すると、先輩である木村詩帆(きむらしほ)さんが、化粧室からちょうど出てきた。
彼女は私に気がついた瞬間、獲物を見つけたような怪しい笑みを浮かべ、早足でこちらへやって来た。
「おはよう明日香」
そんな表情じゃ、美人が台無しだ。
「詩帆さん、おはようございます」
……嫌な予感がする。
なぜなら彼女こそが、私を合コンに誘った張本人だからである。
「この間の合コンなんだけど……」
き、来た!
私はゴクリと喉を鳴らし、身を固くした。
「その後、どうだったのぉ?」
詩帆さんは案の定、ニヤニヤと下世話な話を期待する表情で詰め寄ってきた。
「その後って、別に何もないですよ」
私は一歩下がって笑顔でごまかすが、笑顔に騙されてくれるような相手ではないことは承知している。
「何もないってことはないでしょ。カラオケのとき、あの子、わざわざマイクを使ってお持ち帰り宣言してから即、明日香の荷物を抱えて出ていったよ?」
あの子とは、無論、田代晴海のことである。
私が潰れてる間にそんな事が……。
「た、確かに彼の部屋にお世話になりましたけど、私酔ってたので、本当に何もなかったんですって」
特別なことがあるとしたら、ミュージカルのヒロインに抜擢されたことくらいだ。
承諾はしたものの、まだどうなるかはわからない。
ここではあえて報告しないことに決めた。
詩帆さんはおもしろくなさそうな顔で歩きだす。
私も同じ歩幅でついていく。
「それにしても明日香、歌超うまいじゃん」
「あー……はい」
そうだった。
晴海のせいで、詩帆さんにバレてしまったんだ。
「会社の飲み会の時もカラオケは断固として来ないから、オンチなんだと思ってた」
そう思われてしまっても仕方がない。
本当に会社の人とは一度もカラオケに行ったことがないのだから。
「上手すぎるって逆に引かれてしまうから、わざと避けてたんですよ」
「なるほどね。あのレベルだもんね。明日香の次には歌いたくないって思うもん」
「だから、みんなには内緒にしておいてくださいね」
「明日香が彼とのことを正直に話してくれたらね」
「本当に何もなかったんですってば!」
「どうだかね〜」
私と詩帆さんが事務所の入り口である扉の前に到着すると、左から作業服を着た男が同じタイミングでやって来た。
「あっ……」
相変わらずぶっきらぼうな彼の顔を見た途端、私は軽く驚きの声を上げた。
今までの会話、もしかして彼に聞かれちゃった?
「森くん、おはよう」
「おはようございます、木村さん」
詩帆さんが手を振ると、この彼、森翔平(もりしょうへい)は、律儀にぺこりと頭を下げる。
「おはようございます」
私もよそよそしく声を掛けると、
「おはよう」
とよそよそしく返ってくる。
そして彼は自ら扉を開き、詩帆さんと私を先に事務所に入れてくれた。
表情が固くてぶっきらぼうだけど、穏やかで優しい。
それが彼の性格だ。
私と詩帆さんは先に出社をしていた男性たちに挨拶をしながら席に着く。
「ねぇ、明日香」
パソコンの電源を入れた直後、詩帆さんが小声で私を呼んだ。
「はい?」
「どうして森くんと別れたんだっけ?」
その質問に、私は何も答えず冷めた視線だけを返す。
詩帆さんはイタズラな笑みを浮かべて、提出されている書類の処理を始めた。
私は高校を卒業してすぐにこの会社に入社した。
実家は他県にあるため、入社以来、会社借り上げのアパートで独り暮らしをしている。
入社1年目は仕事を覚えたり一人で暮らすことに精一杯で、恋愛とは縁がなかった。
森翔平と付き合い始めたのは、入社2年目、私のハタチの誕生日の日からだ。
あの日は誕生日なのに、自分のミスのせいで遅くまで残業をしていて、たまたま営業先からの帰りが遅かった彼と帰りの時間が同じになった。
車で送ってくれるというのでお言葉に甘え、会話の流れで実は今日が誕生日なのだと告げると、食事に連れて行ってくれた。
その帰りに彼の方から告白され、私たちは恋人同士になった。
似た者同士のカップルだったと思う。
思ったことを顔や口に出すのがあまり得意ではなく、周りからクールだと言われるところなんかは特に似ていた。
彼は私にピッタリの相手と思った。
だから、私たちの関係はうまくいっていた……はずだった。
いつからだろう。
いつの間にか、私は彼との関係を重荷に感じ始めていた。
私たちが付き合っていることは公言していなかったから、知っているのは詩帆さんともう一人二人くらいだ。
お互いに他の社員の目を盗んでコソコソ付き合っていたが、それを苦に感じたことはない。
だけど、彼の胸の内を探ることには心を消耗していた。
私たちは自分の気持ちや考えを表に出さないから、お互いに探り合うしかなかったのだ。
ポジティブな感情を共有することは少ないが、ネガティブな感情を無視することもできる。
めったに争いの起きない穏やかなお付き合い。
それまで恋愛を長続きさせられなかった私が、翔平とはゆるく平和に4年以上続いた。
翔平はこんな関係が心地よかったのかもしれない。
だけど、私はもっと素直になってみたかった。
彼の気持ちを推し量り、二人の関係がうまくいくよう自分をコントロールするのは、負担だったのだ。
結果その負担が重荷になり、堪えられなくなり、とうとう今年の夏に別れを告げた。
私は恋愛には向いていない女なのだろう。
それがわかって、彼と別れて以降、恋愛に積極的になれないでいる。
そんな私に恋愛の素晴らしさを知らしめるため、自他共に認める男好きの詩帆さんが、私を無理矢理合コンに駆り出したというわけだ。
結果、演劇男子と出会い、お持ち帰りされる事態に発展。
奇しくもヒロインに抜擢されることになってしまった。
この週の水曜日。
待ち合わせ場所はこの地域ではメジャーなショッピング施設で、時間は夜の7時を過ぎたくらいという微妙な設定だった。
6時に仕事を終えてからゆっくり準備をして待ち合わせ場所へ行くと、7時前にもかかわらず、晴海は既に指定の場所で私を待っていた。
やっぱり見た目だけはタイプなんだよなぁ。
そう思いながら、あえて声はかけずに近付いて行く。
無表情で周りを見渡している彼は、私を見つけた途端、安心したようににっこりと微笑んだ。
厳つい真顔がふにゃっと柔らかくなるギャップはスゴい。
「明日香〜!」
大声をあげてぶんぶん腕を振っている。
他に人もいるのに、恥ずかしいからやめてほしい。
私は駆け足で彼のもとへ向かった。
「7時過ぎるんじゃなかったの?」
「コンビニのバイトが7時までだったんだけど、これからデートだって言ったら店長が早く上がらせてくれた」
「……あっそ」
気付けば周囲には同じように7時に待ち合わせたと思われるカップルがたくさんいる。
私と晴海も同じように見えているのだと思ったら、妙に照れくさい。
私は4年翔平と付き合っていたけれど、出掛ける時は車で迎えに来てくれていたから、こんなふうに待ち合わせをすることはほとんどなかった。
「周り、カップルばっかだな。俺たちも手くらい繋いどく?」
満面の笑みで手を差し出した晴海。
サラッとそんなことが言えるなんて、やっぱり中身は好きじゃない。
「やめとく」
冷たい顔でツッコんだが、彼はめげずに同じノリで構ってくる。
「明日香、手冷たいだろ? 俺の手、いい感じにあったかいよ」
「いい、いらない」
「即答するなよー、冷たいなー」
そう言いながら、晴海は楽しそうに笑っている。
こういうやり取りに慣れていない私をからかって楽しんでいる。
詩帆さんにはよくやられているけれど、男の子にこんな扱いを受けることなんてほとんどなかった。
不馴れな私はあしらい方がわからず、年下のくせにとついついムキになって返してしまう。
「あんた、本当に見かけ倒し。チャラい」
「別に誰にでも言ってるわけじゃないよ。一晩ベッドを共にした明日香だからこそ言えるのであって」
「なっ……」
あの日の失態を掘り返されると参る。
「でも見かけ倒しってことは、見た目だけは気に入ってくれてるってことだもんな」
「べっ、別にそういうわけじゃ……」
「あれ、違うの? 俺の腹筋、ガン見してたくせに」
敵わない。
晴海は何を言えば私が喜び、何を言えば怒り、何を言えば困るのかを、出会ってから今までの短期間で完全にマスターしてしまったようだ。
心の中を見透かされているようで、ムカつく。