「手当たり次第合コンに参加しまくってまで、外部からヒロインをスカウトしたかったのには、理由があるんだよ」
手当たり次第参加しまくってたんだ。
昨日はそのうちの一回だったわけね。
「理由?」
「そう」
晴海は袋から、最新のものだと思われるDVDを取り出した。
表には今年の夏の日付が書かれている。
「ちょっと見てみる?」
「うん」
晴海は「うちにはプレイヤーがないから」と苦笑いをして、ノートパソコンにディスクをセットした。
間もなくして、再生が始まる。
すると彼は、すぐさま早送りをした。
「えっ? 見ないの?」
「見てほしいのは、ここから」
ポチッとトラックパッドをタッチ。
再び再生された映像には、曲に合わせて団員だと思われる女性が滑らかに踊っている。
この曲、オリジナルだろうか。
機械で作った音だけど、なかなかのクオリティだ。
そしていよいよ歌が始まって——……
「俺が財布すっからかんになるまで合コンに通い詰めた理由、わかった?」
晴海の問いに、私は静かに首を縦に振った。
「何ていうか……アレだね」
「ハッキリ言っていいよ」
じゃあ、遠慮なく。
「……下手だね」
音痴というわけではない。
マイクを通してエコーをかければ、それなりに上手く聞こえると思う。
しかし、この舞台ではマイクを使っていない。
歌は生声で客に届く。
生歌はごまかしが利かないから、悪い部分も全て聞こえてしまっていた。
「この子、うちの中でも一番歌が上手い子だったんだけど。それでもこのレベルなんだ」
なるほど。
つまり彼が求めているのは、私の歌唱力というわけか。
「ボイトレにでも通ってみたら?」
「みんな仕事してたり学生だったり、忙しい中で劇団やってるから、なかなかそこまでできなくて」
素人ばかりの小劇団だと言っていた。
ボイトレをするにしても自腹になるだろうし、この先プロの役者としてやるつもりがないのなら、お金を出してまでやるメリットはないのかもしれない。
だけど、上手いに越したことはない。
「それに……」
「それに?」
タン、とキーを打ち再生を止めた晴海は、私の目をしっかり見据えた。
「俺が明日香の歌に惚れた」
惚れただなんて、大袈裟な。
言われなれない言葉に、むずかゆい気持ちになる。
歌が上手いことは、私のコンプレックスだ。
それは「カラオケ」というメジャーなコミュニケーションの場において、私の歌唱力が他の人の邪魔をしてしまうからだ。
私の歌を喜んでくれる人よりも、嫌な気持ちになる人の方が多いと気付いてからは、極力人の前では歌わないようにしてきた。
だけど、歌が上手いことは、私の大きな自慢でもある。
もし、コミュニケーションの場でなければ。
歌い合うのではなく、私が一方的に聞かせるだけであれば。
そう、例えばステージの上ならば。
観客の心に響くような歌を歌えるだろう。
自信過剰かもしれないけれど、そう勘違いできるくらいは訓練してきたのだ。
「よく簡単にそういう言葉が出せるよね」
「それだけマジなんだって。あんな歌声、初めて聞いたよ。明日香、素人じゃないだろ。何かやってる?」
「昔、ちょっとね」
「昔? いつ? 何?」
正直、言いたくない。
だって、全然キャラじゃないし。
「高校時代、色々と」
「高校時代? 何? 何やってたの?」
身を乗り出してきた晴海が近い。
私の答えを期待する眼差しが強い。
「ねぇ、教えて」
高校を卒業して今の会社に就職して以来、一度も口に出さなかった私の過去。
まさか、こんなところで打ち明けることになるなんて……。
「バンド、やってたの」
「バンド?」
晴海はきょとんと目を見開いた。
「ロックバンド。高校生だったけど、結構本格的にやってたの」
「へーぇ。意外! 超意外!」
どうせ似合わないですよ。
だから言いたくなかったのに。
当時も目立つタイプじゃないのに意外だねって、ちょっとバカにしたような感じでよく言われていた。
高校生バンドは、目立ちたいタイプの人たちがカッコつけるために始めたグループがほとんどで、その多くが自己満足の演奏だったし、耳が痛くなるくらい下手くそだった。
私のいたバンドは質の高い演奏をするのを目標としていたし、下手なくせに私たちをバカにしていたやつらを見返したくて、私は必死に歌を練習した。
その成果が、この歌唱力というわけだ。
「明日香、歌は好き?」
晴海の問いに、私の胸がドキッと反応した。
「うん、好き」
好きじゃなきゃ、バンドのボーカルなんてやってない。
本当はカラオケだって歌いたいけど、我慢しているのだ。
「じゃあさ。歌おうぜ」
鼓動が強くビートを刻んでいる。
「ステージの上で、思いっきり」
私は彼の笑顔と心臓のリズムにつられて、こくりと頭を振ってしまった。
「よろしく、マイヒロイン!」
第2幕:見透かす主人公
週明け、月曜日。
寒さで朝が辛いけれど、なんとか体を起こして身支度をし、出勤した。
私が勤めているのは、大手企業の子会社に属する、金属加工工場だ。
と言っても、私がやっているのは事務仕事だから、危険の多い製産現場に立ち入ることはほとんどない。
勤務時は制服を着用するため、出勤時の服装は自由。
女子のみが利用する更衣室で制服に着替え、寒いときはその上から男性社員とお揃いの作業服を羽織る。
うちの制服は、工場の割に可愛いのが自慢だ。
控えめなネイビーチェックのベストとスカートに水色のブラウス、そしてポイントにバーガンディーとネイビーのストライプリボン。
作業服もネイビーを基調としたデザインで、左胸のポケットの上には、「牧村」とピンクの刺繍が施されている。
ロッカーの施錠し、鍵は首に下げる社員証ケースの中へ収める。
これで着替えは完了。
更衣室を後にする。
すると、先輩である木村詩帆(きむらしほ)さんが、化粧室からちょうど出てきた。
彼女は私に気がついた瞬間、獲物を見つけたような怪しい笑みを浮かべ、早足でこちらへやって来た。
「おはよう明日香」
そんな表情じゃ、美人が台無しだ。
「詩帆さん、おはようございます」
……嫌な予感がする。
なぜなら彼女こそが、私を合コンに誘った張本人だからである。
「この間の合コンなんだけど……」
き、来た!
私はゴクリと喉を鳴らし、身を固くした。
「その後、どうだったのぉ?」
詩帆さんは案の定、ニヤニヤと下世話な話を期待する表情で詰め寄ってきた。
「その後って、別に何もないですよ」
私は一歩下がって笑顔でごまかすが、笑顔に騙されてくれるような相手ではないことは承知している。
「何もないってことはないでしょ。カラオケのとき、あの子、わざわざマイクを使ってお持ち帰り宣言してから即、明日香の荷物を抱えて出ていったよ?」
あの子とは、無論、田代晴海のことである。
私が潰れてる間にそんな事が……。
「た、確かに彼の部屋にお世話になりましたけど、私酔ってたので、本当に何もなかったんですって」
特別なことがあるとしたら、ミュージカルのヒロインに抜擢されたことくらいだ。
承諾はしたものの、まだどうなるかはわからない。
ここではあえて報告しないことに決めた。
詩帆さんはおもしろくなさそうな顔で歩きだす。
私も同じ歩幅でついていく。
「それにしても明日香、歌超うまいじゃん」
「あー……はい」
そうだった。
晴海のせいで、詩帆さんにバレてしまったんだ。
「会社の飲み会の時もカラオケは断固として来ないから、オンチなんだと思ってた」
そう思われてしまっても仕方がない。
本当に会社の人とは一度もカラオケに行ったことがないのだから。
「上手すぎるって逆に引かれてしまうから、わざと避けてたんですよ」
「なるほどね。あのレベルだもんね。明日香の次には歌いたくないって思うもん」
「だから、みんなには内緒にしておいてくださいね」
「明日香が彼とのことを正直に話してくれたらね」
「本当に何もなかったんですってば!」
「どうだかね〜」
私と詩帆さんが事務所の入り口である扉の前に到着すると、左から作業服を着た男が同じタイミングでやって来た。
「あっ……」
相変わらずぶっきらぼうな彼の顔を見た途端、私は軽く驚きの声を上げた。
今までの会話、もしかして彼に聞かれちゃった?
「森くん、おはよう」
「おはようございます、木村さん」
詩帆さんが手を振ると、この彼、森翔平(もりしょうへい)は、律儀にぺこりと頭を下げる。
「おはようございます」
私もよそよそしく声を掛けると、
「おはよう」
とよそよそしく返ってくる。
そして彼は自ら扉を開き、詩帆さんと私を先に事務所に入れてくれた。
表情が固くてぶっきらぼうだけど、穏やかで優しい。
それが彼の性格だ。
私と詩帆さんは先に出社をしていた男性たちに挨拶をしながら席に着く。
「ねぇ、明日香」
パソコンの電源を入れた直後、詩帆さんが小声で私を呼んだ。
「はい?」
「どうして森くんと別れたんだっけ?」
その質問に、私は何も答えず冷めた視線だけを返す。
詩帆さんはイタズラな笑みを浮かべて、提出されている書類の処理を始めた。
私は高校を卒業してすぐにこの会社に入社した。
実家は他県にあるため、入社以来、会社借り上げのアパートで独り暮らしをしている。
入社1年目は仕事を覚えたり一人で暮らすことに精一杯で、恋愛とは縁がなかった。
森翔平と付き合い始めたのは、入社2年目、私のハタチの誕生日の日からだ。
あの日は誕生日なのに、自分のミスのせいで遅くまで残業をしていて、たまたま営業先からの帰りが遅かった彼と帰りの時間が同じになった。
車で送ってくれるというのでお言葉に甘え、会話の流れで実は今日が誕生日なのだと告げると、食事に連れて行ってくれた。
その帰りに彼の方から告白され、私たちは恋人同士になった。
似た者同士のカップルだったと思う。
思ったことを顔や口に出すのがあまり得意ではなく、周りからクールだと言われるところなんかは特に似ていた。
彼は私にピッタリの相手と思った。
だから、私たちの関係はうまくいっていた……はずだった。
いつからだろう。
いつの間にか、私は彼との関係を重荷に感じ始めていた。