もしこれが今日じゃなかったら、由佳は電話に出なかっただろう。
そもそもこんな時間に電話をかけてくるなんて、頭がおかしい。
文句でも言ってやりたい気分だ。
だけど何故か今日に限って、薫からの電話に安心している自分がいた。
例え好きじゃない奴からの電話だとしても、空っぽな心を少しでも紛らわす理由になる。
「…もしもし。」
「もしもーし。」
電話の向こうから聞こえてくる低く男らしい声に、由佳は心が満たされていくような感じがした。
「何の用?」
本当は心底助かったと思っているのに、無愛想にしてしまう自分を、由佳は少し憎いと思った。
「あのさー、お前、俺の腕時計知らね?」
やっぱりあれは小野寺薫のだったんだ――…。
由佳は非常階段に忘れてあった黒い腕時計のことを思い出した。
「あぁ、持ってるよ。明日渡すね。」
「おう。さんきゅ。」
「用事って、もしかしてそれだけ?」
由佳が尋ねると、薫は当然のように「そうだけど?」と答えた。