『ケンちゃん、ジャンケンしようか?』

幼い頃に俺がすねると、母さんはよくそう言った。

そんなんで騙されないぞ!と思っていても、母さんが手をぶんぶんと振って、最初のグーを出すと、俺も必死になって次は何を出せば勝てるのか考えているうちに、何にへそを曲げていたのか、すっかり忘れていた。

こんなこと、とっくの昔に忘れたと思っていた。

俺にとってはどうでもいい記憶。
思い出したくない思い出。
母さんのことは、思い出したくない。

いや、むしろ思い出さないようにしてきた。
人間は思い出したくないことは、本当に忘れる事が出来る優れた機能を持っている。
きっとこの機能がついていなければ、人間なんて心を持ってしまった動物は生きて行けないのだろう。

心なんて無くなってしまえばいい。
何度もそう思って生きてきた。
心がなければ、どんなに生きる事が楽になるのだろう。

そして、この少女はなぜこの俺の思い出を知っているのだろうか。

「お前、誰だ。」
「私は、、、、。ヒナタ。」
「名前なんてどうでもいい。お前は俺の何を知ってる?」
プップーとひどく大きな音のクラクションが鳴った。そうか、俺たちは信号の真ん中で、つっ立ったままだった。
信号はまた、青から赤に変わっていた。

「アナタを探してました。」

その言葉に驚きながらも、俺は彼女の手を引いて、彼女の歩いてきた側の道に急いで走っていった。

とにかくよく事情がつかめないから、俺がよく行く近くのカフェに連れて行く事にした。
そのカフェは2階にあって窓際から下の人たちが行き交うのがよく見える俺のお気に入りの場所の一つだ。

俺はアイスコーヒーを頼んで、彼女はクランベリージュースを頼んだ。
6月だというのにもう真夏のように、暑い。
これから夏になったらどんだけ暑くなるんだ。
汗が首筋にだらっと流れていた。先にアイスコーヒーが来たので、俺はそれを一気に飲み干した。