「それではおやすみなさい」




今日も無事に勤めを果たし、
寝ているであろう主人にいつも通り声をかけた。

夕餉の支度や繕いものに洗いもの。
ここに来たばかりの頃は戸惑うことばかりだったが今となっては時間が余ることもあった。




「もうここに来て何年たったかな....」




懐かしい記憶が蘇ってきて眠気が覚める。
私は誰もいないことを確認すると、少し外に出ることにした。




もう六月、生温い空気が
まとわりついて嫌だったのだが
外に出れば流石に夜なので心地よい風が吹く。

少し歩けば島原の綺麗な灯りが目に入った。

※島原――京にある花街の総称。芸妓屋、遊女屋が集まっている区域




「――誰かいるのか?」




急にかけられた声に驚きの「ひゃっ」と変な声をあげてしまう。
低い声に鼻をかすめた酒の香り、相手は島原帰りだろうか。

ゆっくりと振り向けば自分より明らかに歳上であろう恰幅のよい男が立っていた。




月明かりだけなのでお互い顔がよく見えない。




「なんだ、小娘か」




明らかにガッカリしたような声に
安心して良いのかこちらもガッカリした方がよいのか戸惑った。




「すみません、目障りでしたらすぐにたちさりますが....」




ガッカリしたのなら立ち去った方がよいのかという判断に至り、そう言えば男は首を横に振った。




「よい、お前も外の方が心地よいから出ているのだろう?」




しかし返された答えは意外なもので、
私は一瞬大きく目を見開いたがすぐに「はい」と返した。

ようやく目が慣れてきたのか男の腰に帯刀しているのが見える。




「あなたは武士なのですか?」




「ああ、そうだ....それがどうした」




興味の無さそうな声に心の中でクスリと笑う。




「あなたは武士であることを威張らないのですね」




「フン、お前のような小娘に威張って何になる」




「いえ....ついこの間知人から威張り散らしてる武士の話を聞いたもので」




「町民にか」




「たしか....力士だとか」




「力士」と言う単語を出すと男はしばらく黙っていた。抑えるような笑い声も聞こえ、私は小首を傾げる。

しばらくの沈黙のあと、男は晴れやかな声で言った。




「ならばその武士はその後、相当名が広まったのう」




「?....そうですね、昨夜もお仲間が噂を聞きつけた者たちに襲われたようですし....」




「仕事も増えたかもしれんのう」




「あ、確かに守護地域が増えたとも言っていました!何故分かるのです?」




確かにこの男の言う通り、壬生浪士組は力士をコテンパンに返り討ちにしたあと悪評もついたがその腕を買われ、守護地域が増えた。

具体的にはどうなったか言わないもののこの男の言う通りだ。




「その威張り散らした武士とやらは
きっと狙っていたのやもしれんのう」




「力士に....威張ることをですか....?」




「ああ、力士というのはどうやら町民に人気があるからな
そいつらとの乱闘が一番広まりやすいと考えたんだろう」




「なるほど....あなたの考えはとても面白いですね」




口から自然と出た言葉に男の纏う空気が変わり、しまったと顔を伏せる。




「すみません、気分を害されましたか?」




「お前はわしをなんだと思っている、それしきでキレぬわ

....何故面白いと思った?」




どうやら気分を害した訳ではないらしい。
私はホッと胸をなでおろした。




「だって、自ら悪役を買って出て部下の仕事を増やしたんでしょう?それは面白いですよ」