「んじゃな、ババァ。あと5年くらいは、おっ死ちぬんじゃねぇぞ」
ヤールという赤毛の少年は、12歳の時にそんな捨てゼリフと共に森の家を出て行った。
彼がババァと呼ぶローブを着た老女の横には、ひとつ年上のミシイがいたというのに、彼女にはちらと視線を投げるだけ。
そのまま背を向けて歩き出してしまったため、ミシイは頭にかっと血が昇ってしまった。一言くらい、別れの言葉を言ってくれてもいいではないか、と。
「あんたなんか、二度と帰って来るな!」
だから彼女は、つい心にもないことを言ってしまった。
そんな罵倒に、最後まで彼は振り返ることはなく、次第にぼやけていく視界の果てに、全て消え去ってしまう。
「ヤールの、バーカ! バーカバーカバーカ……バー……」
もはや、その声は決してヤールには届かないと分かっていながら、彼女は叫び続けた。
老女に、ぽんと肩を叩かれ、ミシイは自分の顔が涙と鼻水でびしょびしょであることに気づいた。
「お……おじじょぉざまあああああ」
もう13歳にもなっているというのに、彼女はそんなみっともない顔で老女に抱きついて、ローブへと顔を埋めるのだ。このローブを洗濯するのは、ミシイの仕事だというのに。
※
ミシイは、みなしごになった4歳の時、師匠である魔女カカラに拾われた。
カカラは、黒いフードつきローブを着た背の高い痩せた魔女だ。魔法でもごまかしようのない年齢のせいで、彼女を拾った頃には既に、杖をついてしか歩けなくなっていた。少し離れたところにある村までは魔法陣で飛べるため歩く必要はないが、日常生活ではいろいろ不便そうだった。
カカラは、「村魔」と呼ばれている魔女である。魔法使いにはその能力により、国に格付けがされている。
上から、「国魔」「都魔」「町魔」、そして「村魔」である。
それぞれ、魔法使いが働くことの出来る場所を表している。彼らはみな魔法の力と深い知識を持っているので、地域の知恵袋として、医者として司祭として、その地の長おさと共に地域を支える一本の柱となっていた。
魔法使いたちは、国に認定されると、自分の終ついの棲家すみかへと居つく。
『村魔』に育てられた弟子で村魔になった者は、そのまま後継者として、同じ村を引き継ぐ場合もある。村魔が跡継ぎを残さずに亡くなった場合は、村の長が中央に連絡をしておけば、認定を受けた別の村魔を斡旋してもらえる。
村の数の方が圧倒的に多いので、村魔は引っ張りだこだった。斡旋を願い出ても、長い間順番待ちをしなければならないこともある。だからこそ、村人は自分の地域の魔法使いを大事にする。
たとえ、能力的には一番下だと言われていても、魔法使いがいるのといないのとでは大違いだった。畑を病害虫から守り安定して豊作に導くのは、村魔の大事な仕事だった。また簡単な怪我や病気の治療や薬の作成は、魔法使いの得意分野だった。
そんな魔法使いが、自分のテリトリーとして感知できる領域の広さ──それが、魔法使いの実力分けの基準のひとつだった。村魔は、大体村の範囲程度。そう考えると、国魔の力の恐ろしさは推して知るべし、である。
村魔であるカカラに、ミシイは身の回りの世話をする子として育てられた。長い間、近くで魔法使いの才能のある子が生まれず、魔女は弟子を得られずに、日々の生活に困っていたのだ。だから、ミシイは拾ってもらった恩返しとして、カカラに心から尽くした。魔女もまた、彼女を可愛がってくれて、学問や薬草の知識を教えてくれた。
ミシィは、ありきたりの重たい黒髪を持ち、ツリ目と上を向いた鼻の、少しキツイ顔をしていた。ただ、この森の主である樹齢千年の楠の葉と同じ色の瞳だけは、いい色だと師匠であるカカラに褒めてもらえて、彼女も嬉しかった。
そのおかげもあって、彼女は楠が大好きだった。葉には防虫効果もあり、樟脳しょうのうの材料にするためによく彼女は拾いに行く。
そんな女二人の生活が、ある日を境に変わった。
ついに、この村で魔法使いの素質のある子が生まれたのだ。その子が、魔法を発症させたのは、5歳の頃。魔蔦と言われる、緑の蔦のようなものが全身から生え、その身体をがんじがらめにしたのである。
魔力が肉体を食い破って飛び出し、逆に本体を取り込もうとしていたのだ。この魔蔦の大きさは、魔法の力の大きさの目安になるという。村魔のカカラが、駆けつけた時には、子供は蔦の繭の中に完全に閉じ込められていた。
魔蔦は、厄介なもののように思えるが、魔法の力で軽く触れるだけで、粉々に砕け散る。だから、どれほど大きな魔蔦であろうとも、村魔ひとりいれば、簡単に解放出来る。もしも村魔さえいない場所で、運悪く発症してしまった場合は、本体が崩壊するまで魔蔦は活動をやめないという。
その子は、カカラによって魔蔦の全てを払われ、生き延びることが出来た。魔法使いの素質のあるのは明らかで、すぐにカカラに引き取られた。慣習通りである。
その子の名前は、ヤール。男の子だった。
彼女よりひとつ下のヤールは、燃えるような赤いクセ毛と赤の混じった黒っぽい目を持っていた。最初の頃は幼いせいもあって鈍臭く、弟分として家の中の仕事を教えるのはミシイの役目だった。
しかし、その赤毛の男の子はすくすくと成長していった。魔法の面に然り、雑事に然り──身長にしかり。彼女が10歳になる前にヤールに追い抜かれてしまった。
「何だよ、鈍クセェな」
教えていた仕事のほとんどは、ヤールの方がうまくなってしまい、逆にミシィが彼に使われることもしばしばだった。
そんな生意気な弟おとうと弟子でしにも欠点がある。掃除や整頓だけは、非常に苦手だった。放っておくと、周囲をゴミためにしてしまうので、ぶつぶついいながらミシィは彼の周囲の片づけをする羽目になる。
本人にさせればいいのだが、ヤールが「集中」を始めると、周囲の音はまったく耳に入らないのだ。肩に触った位では、現実に戻ってくることがないほど。魔法の本を読んでいたかと思ったら、謎の文字列を紙や地面に書き殴っている。場合によっては、息をしているかも怪しいほど固まったまま、何時間も思考だけしている時もある。
年を追うごとに、ヤールの「集中」は長い時間に及ぶようになった。カカラは「あの子は、とても村魔ではおさまらないだろう」と言っていた。
それがどういう意味か、ミシィはよく分かっていなかった。
村魔の弟子が村魔になるのは、実はそう難しいことではない。師匠の推薦状があれば、地域の検査官がやってきて簡単な能力検査を通れば、それだけでなれる。
ヤールが村魔以上の能力を持っていたとしても、村魔になるんじゃないだろうかとミシィは思っていた。いや、信じていたと言っていいだろう。
「おい、ミシィ。おまえ、ババァが死んだらどうすんだ?」
ミシィは、11歳の時にヤールにそう聞かれた。カカラが死んだ時のことを考えるだけで恐ろしいのだが、それでも魔女はもう十分に老いていて、いつその時が来てもおかしくない。
「お師匠様って言えって言ってるでしょ……そんなの分かんないよ。私は魔法の才能がないから、村魔になれるわけじゃないし。薬売りの行商人にでも、なるしかないのかな」
「はっ、鈍クセェお前が行商人になったって、すぐ盗賊に身包みはがされるくらいがオチだろ? しょうがねぇな、オレが何とかしてやっから、ありがたく思えよ?」
「はぁ? 何でわたしがヤールをありがたがらなきゃいけないの!」
その時は、そんな風にミシィも彼の言葉を取り合わなかったが、彼の言う「何とかする」とは、ヤールが村魔になることを意味していると思っていたのだ。
もしものことがあっても、ヤールがいるから何とかなる。
心のどこかで、ずっとそう信じていたミシィは、ある日やってきた村長によって、それが打ち砕かれたことを知った。ヤールは、都にもっと上の魔法使いになる認定試験を受けに行く気で、カカラにも村長にも伝えていたのである。
村魔より上の魔法使いになる認定試験を受けるためには、3年間は魔法学院に通わなければならないという。そこに行くための能力があるかどうか、能力確認のために地域の検査官が来るというのである。
ミシィは、混乱した。ヤールが村魔にならないということは、この村に残らないということだ。この家を出て行くということである。
「ヤールのウソつき!」
「うっせぇな、何の話だよ」
「村魔になるって言ったくせに!」
「ハァ? 言ってねぇよ! 何勝手に人の言葉、捏造してんだよ」
それからというもの、ミシィはヤールと顔を突き合わせればケンカもしたし、逆に黙り込んで話もしなくなった。
彼女も必死だったのだ。子供なりに、何とかヤールをここに留めようと、つたないやり方であの手この手を繰り出したが、どれもうまくはいかなかった。
「これなら町魔どころか、都魔までいくかもしれませんよ。この村の栄誉ですな。学院には報告書を送っておきますので、勉学に励んでよい魔法使いになってください」
ヤールの検査をした検査官の言葉を、彼女は木陰からこっそりと聞いて涙した。嬉しかったのではない。悲しかったのだ。
これで、完全に彼は行ってしまうことが決まったのだから。
そして本当に、ヤールは都へ行ってしまった。
ヤールという赤毛の少年は、12歳の時にそんな捨てゼリフと共に森の家を出て行った。
彼がババァと呼ぶローブを着た老女の横には、ひとつ年上のミシイがいたというのに、彼女にはちらと視線を投げるだけ。
そのまま背を向けて歩き出してしまったため、ミシイは頭にかっと血が昇ってしまった。一言くらい、別れの言葉を言ってくれてもいいではないか、と。
「あんたなんか、二度と帰って来るな!」
だから彼女は、つい心にもないことを言ってしまった。
そんな罵倒に、最後まで彼は振り返ることはなく、次第にぼやけていく視界の果てに、全て消え去ってしまう。
「ヤールの、バーカ! バーカバーカバーカ……バー……」
もはや、その声は決してヤールには届かないと分かっていながら、彼女は叫び続けた。
老女に、ぽんと肩を叩かれ、ミシイは自分の顔が涙と鼻水でびしょびしょであることに気づいた。
「お……おじじょぉざまあああああ」
もう13歳にもなっているというのに、彼女はそんなみっともない顔で老女に抱きついて、ローブへと顔を埋めるのだ。このローブを洗濯するのは、ミシイの仕事だというのに。
※
ミシイは、みなしごになった4歳の時、師匠である魔女カカラに拾われた。
カカラは、黒いフードつきローブを着た背の高い痩せた魔女だ。魔法でもごまかしようのない年齢のせいで、彼女を拾った頃には既に、杖をついてしか歩けなくなっていた。少し離れたところにある村までは魔法陣で飛べるため歩く必要はないが、日常生活ではいろいろ不便そうだった。
カカラは、「村魔」と呼ばれている魔女である。魔法使いにはその能力により、国に格付けがされている。
上から、「国魔」「都魔」「町魔」、そして「村魔」である。
それぞれ、魔法使いが働くことの出来る場所を表している。彼らはみな魔法の力と深い知識を持っているので、地域の知恵袋として、医者として司祭として、その地の長おさと共に地域を支える一本の柱となっていた。
魔法使いたちは、国に認定されると、自分の終ついの棲家すみかへと居つく。
『村魔』に育てられた弟子で村魔になった者は、そのまま後継者として、同じ村を引き継ぐ場合もある。村魔が跡継ぎを残さずに亡くなった場合は、村の長が中央に連絡をしておけば、認定を受けた別の村魔を斡旋してもらえる。
村の数の方が圧倒的に多いので、村魔は引っ張りだこだった。斡旋を願い出ても、長い間順番待ちをしなければならないこともある。だからこそ、村人は自分の地域の魔法使いを大事にする。
たとえ、能力的には一番下だと言われていても、魔法使いがいるのといないのとでは大違いだった。畑を病害虫から守り安定して豊作に導くのは、村魔の大事な仕事だった。また簡単な怪我や病気の治療や薬の作成は、魔法使いの得意分野だった。
そんな魔法使いが、自分のテリトリーとして感知できる領域の広さ──それが、魔法使いの実力分けの基準のひとつだった。村魔は、大体村の範囲程度。そう考えると、国魔の力の恐ろしさは推して知るべし、である。
村魔であるカカラに、ミシイは身の回りの世話をする子として育てられた。長い間、近くで魔法使いの才能のある子が生まれず、魔女は弟子を得られずに、日々の生活に困っていたのだ。だから、ミシイは拾ってもらった恩返しとして、カカラに心から尽くした。魔女もまた、彼女を可愛がってくれて、学問や薬草の知識を教えてくれた。
ミシィは、ありきたりの重たい黒髪を持ち、ツリ目と上を向いた鼻の、少しキツイ顔をしていた。ただ、この森の主である樹齢千年の楠の葉と同じ色の瞳だけは、いい色だと師匠であるカカラに褒めてもらえて、彼女も嬉しかった。
そのおかげもあって、彼女は楠が大好きだった。葉には防虫効果もあり、樟脳しょうのうの材料にするためによく彼女は拾いに行く。
そんな女二人の生活が、ある日を境に変わった。
ついに、この村で魔法使いの素質のある子が生まれたのだ。その子が、魔法を発症させたのは、5歳の頃。魔蔦と言われる、緑の蔦のようなものが全身から生え、その身体をがんじがらめにしたのである。
魔力が肉体を食い破って飛び出し、逆に本体を取り込もうとしていたのだ。この魔蔦の大きさは、魔法の力の大きさの目安になるという。村魔のカカラが、駆けつけた時には、子供は蔦の繭の中に完全に閉じ込められていた。
魔蔦は、厄介なもののように思えるが、魔法の力で軽く触れるだけで、粉々に砕け散る。だから、どれほど大きな魔蔦であろうとも、村魔ひとりいれば、簡単に解放出来る。もしも村魔さえいない場所で、運悪く発症してしまった場合は、本体が崩壊するまで魔蔦は活動をやめないという。
その子は、カカラによって魔蔦の全てを払われ、生き延びることが出来た。魔法使いの素質のあるのは明らかで、すぐにカカラに引き取られた。慣習通りである。
その子の名前は、ヤール。男の子だった。
彼女よりひとつ下のヤールは、燃えるような赤いクセ毛と赤の混じった黒っぽい目を持っていた。最初の頃は幼いせいもあって鈍臭く、弟分として家の中の仕事を教えるのはミシイの役目だった。
しかし、その赤毛の男の子はすくすくと成長していった。魔法の面に然り、雑事に然り──身長にしかり。彼女が10歳になる前にヤールに追い抜かれてしまった。
「何だよ、鈍クセェな」
教えていた仕事のほとんどは、ヤールの方がうまくなってしまい、逆にミシィが彼に使われることもしばしばだった。
そんな生意気な弟おとうと弟子でしにも欠点がある。掃除や整頓だけは、非常に苦手だった。放っておくと、周囲をゴミためにしてしまうので、ぶつぶついいながらミシィは彼の周囲の片づけをする羽目になる。
本人にさせればいいのだが、ヤールが「集中」を始めると、周囲の音はまったく耳に入らないのだ。肩に触った位では、現実に戻ってくることがないほど。魔法の本を読んでいたかと思ったら、謎の文字列を紙や地面に書き殴っている。場合によっては、息をしているかも怪しいほど固まったまま、何時間も思考だけしている時もある。
年を追うごとに、ヤールの「集中」は長い時間に及ぶようになった。カカラは「あの子は、とても村魔ではおさまらないだろう」と言っていた。
それがどういう意味か、ミシィはよく分かっていなかった。
村魔の弟子が村魔になるのは、実はそう難しいことではない。師匠の推薦状があれば、地域の検査官がやってきて簡単な能力検査を通れば、それだけでなれる。
ヤールが村魔以上の能力を持っていたとしても、村魔になるんじゃないだろうかとミシィは思っていた。いや、信じていたと言っていいだろう。
「おい、ミシィ。おまえ、ババァが死んだらどうすんだ?」
ミシィは、11歳の時にヤールにそう聞かれた。カカラが死んだ時のことを考えるだけで恐ろしいのだが、それでも魔女はもう十分に老いていて、いつその時が来てもおかしくない。
「お師匠様って言えって言ってるでしょ……そんなの分かんないよ。私は魔法の才能がないから、村魔になれるわけじゃないし。薬売りの行商人にでも、なるしかないのかな」
「はっ、鈍クセェお前が行商人になったって、すぐ盗賊に身包みはがされるくらいがオチだろ? しょうがねぇな、オレが何とかしてやっから、ありがたく思えよ?」
「はぁ? 何でわたしがヤールをありがたがらなきゃいけないの!」
その時は、そんな風にミシィも彼の言葉を取り合わなかったが、彼の言う「何とかする」とは、ヤールが村魔になることを意味していると思っていたのだ。
もしものことがあっても、ヤールがいるから何とかなる。
心のどこかで、ずっとそう信じていたミシィは、ある日やってきた村長によって、それが打ち砕かれたことを知った。ヤールは、都にもっと上の魔法使いになる認定試験を受けに行く気で、カカラにも村長にも伝えていたのである。
村魔より上の魔法使いになる認定試験を受けるためには、3年間は魔法学院に通わなければならないという。そこに行くための能力があるかどうか、能力確認のために地域の検査官が来るというのである。
ミシィは、混乱した。ヤールが村魔にならないということは、この村に残らないということだ。この家を出て行くということである。
「ヤールのウソつき!」
「うっせぇな、何の話だよ」
「村魔になるって言ったくせに!」
「ハァ? 言ってねぇよ! 何勝手に人の言葉、捏造してんだよ」
それからというもの、ミシィはヤールと顔を突き合わせればケンカもしたし、逆に黙り込んで話もしなくなった。
彼女も必死だったのだ。子供なりに、何とかヤールをここに留めようと、つたないやり方であの手この手を繰り出したが、どれもうまくはいかなかった。
「これなら町魔どころか、都魔までいくかもしれませんよ。この村の栄誉ですな。学院には報告書を送っておきますので、勉学に励んでよい魔法使いになってください」
ヤールの検査をした検査官の言葉を、彼女は木陰からこっそりと聞いて涙した。嬉しかったのではない。悲しかったのだ。
これで、完全に彼は行ってしまうことが決まったのだから。
そして本当に、ヤールは都へ行ってしまった。