「そっかぁ。湊くん優しいもんねぇ♪サキも移ったら大変だから近寄らせてくれないかもだもんねぇ」
「ん」
「サキ、湊くんに会いたかったのにぃ」
ものすごくツマラナイ。
この場合、どうするべきなのだろうか。
メンドクサイ。
このぶりっ子、この上なくメンドクサイ。
生憎モモはお手洗い。
この状態を抜け出す術を失ってしまった。
あれ?
今までぶりっ子に話しかけられた時、どのように抜け出していたであろうか。
アイツがフラ〜っと現れて、ぶりっ子の相手をして更に煩くしていた。
きっとそうだったに違いない。
煩いのは嫌だけど、アイツの煩さの方が数倍良い。
アイツの煩さは、実は心地よいものだったようだ。
17年生きてきて、初めて知った。
モモもお手洗いから帰ってきて、始業式が行われる体育館へ。
長くつまらない話を何度も話す校長。
諸注意と締めの言葉を経て短くはない始業式が終わる。
ホームルームと終礼を終え、午前中に帰宅する。
下校も1人のんびり歩いて、それなのにいつもの半分の時間で家に辿り着いた。
アイツと帰るのは、案外時間のかかることだったらしい。
いつもは今日の何倍も早く家に帰ってる気がするが…
どうやらアイツの無駄話と寄り道は、楽しいものだったらしい。
17年生きてきて、初めて知った。
ひとりはやっぱりツマラナイ。
ひとりよりはふたりがいい。
辿り着いたのはアイツの家
思っていた以上に、さみしくて
気づかないうちに、求めていた
自分の家に帰ってるつもりだった。
そう、つもりだったのだ。
習慣というものは恐ろしい。
いつも強引なアイツのせいで、今日もまたアイツの家に帰って来てしまった。
今日はひとりだから、自分の家に帰るつもりだったのに。
思いのほか、アイツに洗脳されていたようだ。
放課後帰るのは、アイツの家。
30m先のアイツの家。
洗脳というものは恐ろしい。
歩いてきた道を30m引き返す。
うん、ここが正真正銘自分家だ。
「ただいま〜」
「あら?今日はどうしたの⁇」
「始業式」
「湊くんの家に帰ると思って、お昼ご飯準備してないわよ」
ここにも洗脳された人がいた。
夜の8時。
それがこの家の夕食の時間。
平日でも休日でも、私は夕食が始まる5分前にこの家に帰ってくる。
アイツが毎日その時間に送り届けてくれるから。
だからアイツの家には、私の部屋着があるし、教科書や参考書もある。
17年生きてきて、その8割以上をアイツの家で過ごしている気がする。
こんな生活を続けていたのだから、昼に帰って来た娘に昼食が準備されていなくても致し方ないのだ。
洗脳というものは、恐ろしい。
食パンと紅茶で簡単に昼食を済ませ、部屋に入る。
ベッドと小さなローテーブルがあるだけの部屋。
勉強机も本棚もない。
アイツの部屋とは真逆のシンプル過ぎる部屋だ。
…暇。
何もない。
私が買ったものは全てアイツの部屋にあるし、それで不自由な思いをしたことなどなかった。
これまでの生活を振り返ってみよう。
朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、歯磨きをしたらアイツの家へ。
アイツを起こし、制服に着替え、準備をしながらアイツを待つ。
アイツの準備が終わって、学校へ。
学校からアイツの家に帰って、部屋着に着替え、宿題をする。
アイツのベッドでマンガを読みながら、おやつを食べ、たまに再放送のドラマを見る。
夕食前に家に帰って、ご飯を食べる。
ゆっくりお風呂に入り、アイツのくだらないメールに返事をしながら連ドラを見る。
私が見ているドラマが終わる時間にアイツからおやすみメールが来て、それに返信をしたら就寝。
次の日はまた朝からアイツの家へ。
何気無く過ごしてきたが、考え直すと、私の生活はアイツばかりだ。
物心ついたころには、アイツの煩さは今と変わらなかった。
毎日私を迎えに来ていたアイツが、いつからか迎えを頼むようになった。
毎日私の家かアイツの家で遊んでいたが、いつからかアイツの家に引きずり込まれるようになった。
互いの親もその生活に何の疑問も感じていない様子。
アイツの作り出した習慣というものは、人の脳を洗脳するらしい。
やはり、洗脳というものは、恐ろしい。
3時のおやつはグレープフルーツゼリー。
アイツが好きな食べ物だ。
…またアイツのこと考えてる。
しょうがない。
意地を張っても意味ないから、私が折れてあげるとしよう。
ゼリーをお見舞いに届けるだけだ。
アイツのママさんに手渡すだけ。
決してアイツに会いに行くわけではない。
歩いて数十秒。
距離にして30m。
数時間前も見上げたアイツの家の前。
入ろうと意気込んで、扉を開けようとして慌ててチャイムを押す。
…この家のチャイムを押すのはいつ振りだろうか。
いつもはアイツと一緒だからチャイムなんて久しぶりに押した。
危うく他人の家に無断で入るところだったのだ。
習慣というものは、恐ろしい。
「はーい‼︎…あら、喜嬉ちゃん‼︎」
「ゼリー持ってきたよ」
「湊なら部屋にいるわよ〜」
「インフルが移るから近寄るなって怒られた。だからこれ、渡しといて?」
「あらあら。まぁ、お茶でも飲もう」
「うん」
毎日顔を合わせているから第二の母親。
敬語なんて使った記憶もないし、使えと言われた記憶もない。
「でも、どうしてチャイム鳴らしたの?」
「だって、湊一緒じゃなかったから」
「ふふふ。いいのよ〜喜嬉ちゃんはもう私の娘みたいなものじゃない」
「嬉しい」
その言葉は非常に嬉しい。
しかし忘れるでない。
アイツと私は他人だ。
他人の家に入るのに、無断で入って良いのだろうか。
いや、言い訳ない。
アイツのママさんもまた、洗脳されてしまっている。
洗脳というものは、恐ろしい。