“醜い手は、綺麗なものを救えるの。
でもね、綺麗なものは醜いものを救ってはくれない。
だからね、醜いものは本当は醜くないの。
本当に醜いのは、ただの正義面をした偽善者よ。”
そう言って、涙した姉貴の顔を、今でも覚えている。
昔、と言ったのは訂正。
数年前に、姉貴が言っていたことだから。
その日から姉貴は変わった。
長かった髪をバッサリ切り、あまり笑わなくなった。
笑うことを忘れたわけじゃない。
ただ、少し昔とは違う笑い方をする。
俺がそれを変えてやりたいのだけれど、それはどうも叶わないものだと悟った。
変えれるのは、姉貴がこれだと決めた相手。
キュっ
未だに冷たい水が流れ出ている蛇口をひねり、流れ出るのを止める。
トイレを出てみれば、廊下には人人人。
...あぁ、俺が殴った奴が中心にいるのか。
結局、やりすぎた方が悪いのかよ。
溜め息をつくと、それで俺に気付いたらしい近くにいた生徒が真ん中までの道を開けていった。
うざ。
そんなこと、いちいちしてくれと頼んだ覚えは無いのに。
「ご丁寧にどうもー」
それでも、そこで引けないと思ったのは俺のつまらないプライドのせい。
堂々とその作られた道を歩いているつもりの俺は、震えていないだろうか。
...周りの反応からして、震えていることはなさそうだけど。
真ん中にたどり着いた俺は笑みを作る。
だって、それがお前らの描いた瀬崎葵だろ?
殴った相手を見ても笑う、冷酷な男。
「どーも、先生。
女顔、大丈夫だった?」
だったらちゃんと演じてやるよ、お前らの望むとおり。
ニヤリと笑う俺を見た奴から、小さく悲鳴が聞こえた。
「...葵、お前何がしたいんだよ」
「あ、稀浬さんじゃないですかー。
お久しぶり...」
バキっ
「...ははっ、痛いじゃないっスか」
「...お前には、呆れるよ」
笑うことしか出来ない俺の頬に拳をめり込んだ稀浬さんに、胸が痛くなった。
ごめんな、稀浬さん。
これが俺なんだよ。
どうしようもない姉貴にしか、本音を言えない弱虫が、俺なんだよ。
「...俺、ちょっとお茶買ってきまーす」
「...。」
何も言えなくなった俺はその場から抜け出すように踵を返した。
ガコンっ
稀浬さんに伝えたように外にある自販機で温いお茶を買った俺は、それで手を温めていた。
冷えていた手はそのお茶で温める。
手が温もっていくけど、外の空気は冷えていたから少し熱くなっいた頭が冷えた。
...俺って、結局何がしたいんだろう。
本当は分かってるのに。
このことが姉貴にも悪影響を与えていて、姉貴の存在を知っている奴がああやって変な噂を作り始めることを。
「今回のも、姉貴に連絡行くんだろうな」
...また、俺は姉貴に迷惑しかかけない。
謝るのが嫌いな姉貴に頭を下げさせて。
...俺が守りたいものは、なんなんだろう。
温(ぬる)くなったお茶を強く握りしめる。
だいぶ温まった手は元の白さに戻っていて、動きにくかったのも治った。
...俺のこの手は醜いだけ。
姉貴が言ったように、醜い手でも助けることはできない。
ただ、破壊することしかできない。
...こんな俺を、姉貴は捨てないかな。
ふっと自嘲の笑みを浮かべて屋上に向かった。
なるべく物音を立てないように閉めたドアを一度じっと見た後、後ろにいる葵に振り返る。
「...帰ろっか、寺島のところに」
「...うん」
何もしてないはずなのに疲れたあたしは、らしくもなく葵の手を握って歩き始める。
「っ、」
「?葵?」
「...何もないよ」
ぎゅっと力を入れて握った葵の手はいつも通り冷たくて、でもどこか温かみを感じる手。
だけど、あたしが握った瞬間。
ほんの少し力が入った気がしたのは、あたしの気のせいだろうか。
「...それじゃ、ここで待っててね」
「うん」
だけどそんなことは直ぐに気にならなくなって、あたしたちは駐輪所の前で手を解いた。
...というか、解かれた。
寒い、さっきまで手繋いで温かったのに。
まだほんのり温い手を冷えないうちにポケットに入れる。
「...そんなことしても直ぐに冷えるのに」
「いいの」
ポケットに手を入れ、肩を縮めているとバイクに乗った葵があたしの前に停まった。
「あぁー、乗りたくない」
「ははっじゃあどうやって帰るの?」
「...。」
「ほら、俺の制服のポケットに手突っ込んで乗っていいから」
早く。
弟のくせに妹をあやすように言いながらあたしにメットを被せる。
パチンと留めてしっかりメットを被ったあたしは、今度は葵の腰に腕を回して乗る。
そして言われたようにポケットに手を入れた。
...うん、まだましかな。
「じゃあ、行くよ」
「OK」
珍しくあたしがちゃんと乗ったのを確認した葵に頷くと、バイクを唸らせて動き始めた。
「さーむーいー!!」
「我慢!!」
やっぱり寒いことに変わりないから、メット越しに叫ぶと葵に笑われた。
「おかえりなさい、姐さん。葵」
「ただいま。ほら姉貴降りて」
「...。」
...あのまま叫び続けたあたしは家に着いたときには疲れ果てていた。
くそ、これからは車だ。
バイク好きだけど、運転するのも楽しいけど寒い!!
ブツブツ言いながらメットを脱いで葵に渡すと、軽くジャンプをして降りた。
クスクスと笑い声が葵と家の人たちから聞こえるけど、無視して家の中に入る。
家に入ってすぐに、寺島が居た。
「...おかえり」
「ただいま、仕事は?」
「まだだ、」
...仕事終わってないんだったら、戻ればいいのに。
なぜかあたしの前でモジモジしている寺島。え、キモイ。
「何、言いたいことがあるならはっきり言って」
そんな寺島に中に入ることを拒まれているあたしはだんだん腹が立ってきた。
「いや、その、悪かったな」
「はぁ?」
「...行けなくて」
「...はぁ」
珍しく俺様な態度を取らないと思えば、そんなことか。
「いいって言ってるでしょ?
そもそもあれはあたしが行くもの。
今回は連絡がこっちに回ってきただけでしょう」
こんなことだけでいちいちくよくよしてられないのよ、あたしは。
てか、
「あんたには葵を預かって貰ってるの。
それくらいあたしがするわ」
「...。」
「ほら、仕事に戻って」
「...でも、」
「...もういいから、」
ご飯、作ってくる。
道を空けろとでも言うように道を立ち塞いでいる寺島を睨み上げる。
?
「なに顔赤くしてんのよ。
今日様子可笑しいと思えば、風邪?」
「...ちげぇ」
「じゃあなによ」
無駄に身長の高い寺島の額に手を伸ばす。
...うん、全然熱はない。
首を傾げるあたしに今度は耳を真っ赤にした寺島に首を傾げる。
「っ、...いいから、飯作ってこいよ。
今日はハンバーグな」
「おい、さっきの弱々しさはどこ行った」
しかも自分の好物をちゃっかり出してきてるし。
まぁ、メニュー決まってなかったからいいんだけど。
「はいはい、いいからさっさと仕事戻りなさいよ」
「るせぇ。
飯まずく作ったら食わねぇからな」
「って、まずいって言いながら毎回食べるくせに?」
「...仕事行ってくる」
よし、勝った。
どうやら仕事に行きたくなかったらしい寺島は、最後まであたしに突っかかってきた。
最早小学生にしか見えない。
「...ミンチあったかな」
仕事に戻る寺島の背中を最後まで見ていたあたしは、冷蔵庫の中身を思い出しながらキッチンに向かう。
...あれ、玉ねぎが無かったような...。
ま、いっか。
その時は葵に買いに行かせば。
鼻歌を歌いながらたどり着いたキッチンにある冷蔵庫を開ける。
あ、玉ねぎあった。
今日のメニュー、は。
ハンバーグと春雨サラダに...
元々は料理をするのが好きらしいあたしは、考えているうちに沢山の料理を作っていた。
...作りすぎ、てはないはず。
ここ男ばっかだし、うん。
自己解決して廊下に出る。
「あ、ご飯できたよ。
みんな呼んで?」
「分かりました。
おい、飯出来たってよ!!」
廊下にはスキンヘッドの男の人がいて、その人にあたしが声をかけると、皆に聞こえるように大声で呼んだ。
するとすぐに皆は集まってきた。
「んじゃ、ここにあるの全部運んで」
「はい!」
「うわ、今日はなんか張り切ってますね!
特にハンバーグ!」
若の好物だから、喜びますね。
なんて言ってるそこの刈り上げ君。
その若なんて呼ばれてる男のリクエストだよ。
だけどあたしが返事を返す前にキッチン内に溢れていた男達は作って置いていたご飯を素早く持って行った。
さて。
「ね、あたし今日は帰るわね」
側に置いていた鞄を肩にかけ、残った人に言う。
「え?
珍しいですね、どうかしたんですか?」
そんなあたしに少し目を見開いて聞く。
...えっと、
「...ちょっと、仕事抜け出してきたもんだから」
「あぁ、残ったんですね。
分かりました、車用意させます」
「ありがとう、助かる」
そこまで深く聞いてこないここの人たちは、あたしたちのことを知っているのだろうか。
...きっと、知らないんだろうな。
まぁ、そのおかげで助かってるからいいんだけど。
「姐さん、車用意できました」
「うん、ちょっとだけ待って」
ガサガサと鞄の中に手を入れ要らない紙とペンを出す。
「?姐さん、どうしたんですか?」
「うん、ちょっと」
その紙に文字を書いていく。
1枚、2枚と書いて、手を止めた。
「...これ、よろしく」
「え...。
...分かりました」
…では、行きましょうか。
ニコッと笑って言ってくれたこの人はきっとお腹が空いているのだろう。
さっきからお腹をさすっている。
ごめんね。
さすっていない片方の手にある、綺麗に2つに折られたあたしがさっき書いた手紙を、この人は渡してくれるだろうか。
...きっと、渡してくれるわよね。
もう一度ぎゅっと握った鞄を肩に掛けなおして玄関に向かった。