*華月譚*花ノ章 青羽山の青瑞の姫

灯のつれない言葉に、汀は目を丸くした。





「んまぁ!


あなたったら、毎朝いったいいつまで寝ているつもりなのかと思っていたら………狸寝入りだったのね!」





「……………」






怒りに任せて墓穴を掘ってしまった灯は、ちっと舌打ちをする。




汀は腕の中の青丹丸をぎゅっと抱きしめた。





「………ねぇ、聞いた? 青丹丸。


蘇芳丸ったら、犬のくせに狸寝入りをしていたのですって!


どう思う? ひどいわよねぇ。



あー、もう、私の味方はやっぱりあなただけだわ!」






芝居がかった口調で青丹丸に頬ずりをする汀に、灯が低く告げる。






「………俺は犬ころじゃない。


狐だと言ったろうが」






その訂正はさらりと無視して、汀はつんと顎を上げた。





「さ、行きましょ、青丹丸」





そう言ってがさごそと寝ぐらをあとにする汀の後ろ姿を、灯は無言で見送る。





そのあと、どっと疲れたように枯葉の中に突っ伏した。
















白縫山の朝は早い。




女たちは日が昇ると共に起き出し、火を熾して朝飯の支度をしたり、洗濯のために川へと繰り出していく。





男たちは盗みの仕事や狩りの準備のため、刃物の手入れに余念が無い。






朝の喧騒の中を、汀は軽やかに駆けた。




その後ろを、青丹丸が元気良く追ってくる。






汀は長く伸ばしていた髪をばっさりと切り落とし、幾重にも重ねて着ていた色鮮やかな袿(うちき)を脱ぎ捨てて。




今はすっかり庶民と同じ、こざっぱりとした粗末な麻の単(ひとえ)に身を包んでいた。







(ああ、身軽になるって素晴らしい!)






森の中の清々しい空気をめいっぱいに吸い込み、汀は大きく両手を広げて青空を仰いだ。







「ただいま、檀弓(マユミ)さーん!」





粗末ながらもよく手入れされた板屋の木戸を開け、汀は明るく声をかけた。




蒼白い顔をゆっくりと上げた檀弓は、「おかえり」と小さく呟いて手を上げた。




低血圧で朝に弱いのだ。






早朝だろうが真夜中だろうがいつも明るい汀を眩しそうに見上げる。





「………あんたはいつも元気ねぇ」





汀はぱちぱちと瞬く。






「え、そうかしら。


今日は朝起きたときに欠伸が一つ出て、なんだか疲れが残ってるのかしらと思ったんだけど」






それを聞いた檀弓はげんなりと肩を落とした。






「………朝っぱらから、村外れの灯の寝ぐらまで行って。


皆がやっと起き出した頃には帰って来て。


そんだけ大きな声が出るんだから。



人の百倍は元気よ………」






「まぁ、そうなのかしらねぇ?」







不思議そうに頬に手を当てて首を傾げる汀を、檀弓は苦笑いを浮かべながら見つめた。







起き出してきた四つ子たち、露草(ツユクサ)と共に、朝食をとる。





村で獲れた米や野菜。


男たちが狩ってきた動物の肉。


子供たちが採集してくる木の実や山菜。





白縫村の食事は、都の下手な庶民たちよりも恵まれた豊かなものだった。






「まぁっ、おいしそう!」






汀はうきうきした様子で、いつも通り飯とおかずをぐちゃぐちゃに混ぜる。




炊いた米に、川魚の塩焼きと生の猪肉と葉野菜と干し葡萄が投入された光景に、一同、息を呑む。






「………姫さま」





露草は思わず諌めようとして、いやもうここは右大臣邸ではないのだ、と思い直した。





檀弓たちもさすがに見慣れてきたので、あえて何も言わなかったが、しかし頬が引きつるのは抑えようがなかった。






(………うぅ、見た目が半端なく悪い)





(よくあんなものを体内に入れられるな………)





(灯ったら、ずいぶん変わったお姫さまを連れてきたもんだわ)






てんでにそんなことを思いながら、蒼ざめた彼らは見て見ぬ振りを決め込んで食事をすすめた。






朝食を終えると、今日の洗い物当番である糸萩(イトハギ)、露草を手伝って、汀も器を洗いはじめた。





「まぁ、姫さま。


お手伝いなど頂かなくとも結構ですのに………」





「あら、いいのよ。


やりたくてやってるんだから」






戸惑う露草を汀は笑い飛ばした。



お邪魔虫、などという発想は汀には皆無なのである。






「汀ったら、元気が有り余ってる感じだねえ」






糸萩は可笑しそうに笑いながら、汀と露草が洗った器を受け取って、布で拭いていく。






実際、汀は当番でもないのに洗濯場を覗きにいったり、台所に顔を出して釜の中を覗いたりと、毎日うろちょろしているのである。






いわく、「だって、暇なんだもの!」






どうやら、今まで右大臣邸で大人しくしていた反動で、黙って座っているのも我慢ならないらしい。






「あーぁ、洗い物、終わっちゃったわ」





きれいに洗い上がって重ねられた器を、汀は残念そうに眺める。






糸萩は「お疲れ様でした」と笑って、露草に向き直った。





「露草さん、今日は谷の方に行ってみようか!」





「あ………はいっ。


お願いします、糸萩さん!」






初々しく頬を紅く染めながら見つめ合う二人の間に、汀が顔を出す。






「あらっ、二人とも、どこかに遊びに行くのね?


ねぇねぇ、私もついて行っていい?」






無粋な発言をした汀の手を、後ろで聞いていた檀弓が慌てて引いた。






「こらっ、汀!


空気を読みなさい、空気を!!」






「え、空気??」






首を傾げる汀は、檀弓に引きずられてずるずると家の外へ連れ出されていく。





そんな姿を見送り、糸萩と露草はくすくすと顔を見合わせた。







外に出された汀は、手持ち無沙汰なのにまかせて、村の中をうろうろとする。





遅めの食事を作っているらしい女たちの集団を見つけ、にこにこと近づいていった。






「みなさん、おはよう!」






唐突に明るい声が降ってきたので、女たちは驚いたように顔を上げた。






「………え、あぁ、おはよう」




「おはよう、いい朝ね」






そんな返事をしながら、女たちは顔を見合わせる。





事情通の一人が、汀の青い瞳を見て手を叩いた。





「あっ、この子、灯の………」





「え? あぁ、この子が………」






すっかり噂の的になっている汀だったが、気にする様子もなく女たちの間に屈み込んだ。






「あなたたち、ごはんを作っているのね」




「ええ、そうだけど………」




「よかったら、教えてくれないかしら?」






またもや唐突な申し出に、女たちが驚く。




しかし一人の年かさの女が、「花嫁修行のつもりじゃないかい?」と小声で囁くと、皆がいっせいに頷いた。





「なるほどね」




「そういうことなら………」




「花嫁の先輩として、ひと肌脱いでやらなきゃね!」




「あはは、やだねぇ、あんたその顔で、花嫁なんで柄かい!?」






楽し気に笑い合う女たちを見ながら、内容は分からないながらも、汀も楽しそうに笑った。






そこに、近くを通りかかった小さな少女が足を止めた。






「………おばさんたち、おはよう」





女たちは顔を上げて、にっこりと笑う。






「小桃(コモモ)じゃないか、おはよう」




「今日は早いねえ」




「………うん………」






女たちの挨拶にろくに応えず、小桃はじっと汀を見下ろしている。






小桃に気づかず、女たちのきびきびと動く手元を見ていた汀に、小桃が声をかける。





「汀さん………なにしてるの?」





汀はえ?と顔を上げる。




そこで小桃の姿を見て、にっこりと笑った。




「小桃ちゃん! おはよう!


今日もかわいいわねぇ!!」





「…………どうも。


ねぇ、何してるの?」






「えーと、ごはんの作り方を教えてもらおうと思って」





「………何を作るの?」




「さぁ………とりあえず今日は、お米の炊き方を知りたいわ!」






すると小桃を始め、会話を聞いていた女たちも驚いたように目を丸くした。




小桃はしばらく口を半開きにしていたが、こらえきれないように言った。





「なに………あなた、ごはんも炊けないの!?」