「たかが猫に何をそんなムキになってるのかね。生徒会は」
私たちに向けられた視線もバカにしたもの。
今まで静観していた藍君もさすがに頭にきたのか、冷静だけれど反抗するように言う。
「そんなこともわからないで教師やってんスか」
この藍君の発言に、学年主任のこめかみに青筋が浮き出た。
いよいよ険悪な雰囲気になってしまった私たちの間に、再び、水樹先輩の声が発せられる。
「親とはぐれ、それでも懸命に生きようとしている命です。たかがなんて話じゃない」
それは、思いやりに溢れた声で。
「それとも先生にとって死は軽いもので、明日自分が死ぬとわかっても、素直に受け入れるということですか?」
助けたいという気持ちがこめられていて。
「ぐっ……それは……」
「生きたいと思うのなら、お願いします。俺は、助けられる命があるなら助けたい」
水樹先輩が頭を下げると、私も続いて頭を下げた。
「教頭先生、他の先生方もお願いしますっ。せめて、飼い主が見つかるまでか、子猫たちが自分で生きていけるようになるまででいいんですっ」
けれど、返事はなく。
その時、私はふと、お母さんの事を思い出して……
「親を失うというだけでも、悲しいんです。苦しいんです。その痛みを抱えながら生きようとしている命に、未来をください」
お母さんが死んだ時。
私はまだ小さかったから、お母さんの事をたくさんは覚えていない。
でも、私を抱きしめてくれる優しい温もりと笑顔と、大好きだった気持ちは今でも残っていて。
お父さんやおじいちゃんから話を聞く限りでは、毎日お母さん、お母さんと泣いていたらしい。
寂しくて、会いたくて。
今でもそう思うけれど……
私を産んでくれて、今日という日を過ごせていることに感謝している。
「お願いします」
頭を下げたままもう一度懇願すると、会長も、三重野先輩も、藍君と赤名君も頭を下げた。
そして、その直後。
「いいじゃないか」
「校長!」
教頭先生が驚き口にした言葉に、私は弾かれるように顔を上げた。
水樹先輩たちも同じく顔を上げ、職員室に入ってくる人を目で追う。
少しふくよかで、笑うと目のなくなっちゃう校長先生は、嬉しそうに私たちを見つめた。
「大切な命の為にでき得ることをする。生徒会の諸君はとても素晴らしい」
何度も首を縦に振りながらそう言うと、校長先生は職員室にいる先生たちに伝える。
「許可します。飼い主が見つかるか、猫が独り立ちするか。それまで餌は生徒たちに呼びかけ、猫を飼っている家からわけてもらうことにしよう」
そして最後に私たちに向かって「頑張って世話してあげなさい」と言うと、背を向け職員室を出ようとする。
私たちはその背中に頭を下げて。
「ありがとうございます!」
重なる感謝の声に、校長先生は振り返り、ニッコリと笑った。
隣を見れば、水樹先輩は本当に嬉しそうに微笑んでいて。
私は、あの悲しい夏の光景を明るいものに変えられて良かったと、心から思ったのだった。
──ああ、癒される。
日陰が多く、少し涼しい体育館裏。
そこに、しゃがみ込む私と水樹先輩の足元には3匹の子猫。
ミルクをたらふく飲んで満たされた子猫たちは、現在、私のスマホについているストラップと絶賛戯れ中だ。
といっても、まだ人に慣れていないので、興味津々な様子で揺れるストラップを眺めているだけなんだけど。
でも、手を出したそうにウズウズしているのがまた愛らしい。
「可愛いですね、この子達」
自然と頬を綻ばせながら隣でしゃがんでる水樹先輩に話しかけた……のだけど。
「…………」
なぜか、水樹先輩は、目を細めて私を見つめていた。
「あ、あの、先輩?」
私の顔に何かついてるんだろうか。
目の前の猫ちゃんたちよりも興味が沸くような何かが。
だとしたら恥ずかしい。
というか、水樹先輩に見つめられること自体、恥ずかしいというか照れてしまう。
だから、当然私の頬が熱を帯びるわけで。
先輩の瞳に翻弄されている私を知らないであろう水樹先輩は、やがて笑みを深めて。
「うん、可愛い」
そう言った。
けれど、先輩の視線は私にきたまま。
ね、猫の事ですよね先輩。
私を見ながら返事とか、勘違いしそうになっちゃいますから!
心臓に悪いですから!
あっ! もしかしたら、からかわれてる?
ありえなくはない。
先輩は時々意地悪だったりするから……
「ところでさ」
「は、はいっ」
一人であれこれ考えながらドギマギしていたら、水樹先輩が猫と遊んでいるストラップを指差した。
「それ、なに?」
「ストラップですけど」
「うん。それはわかるけど、何かのキャラ?」
問われて、私は小さく笑った。
先輩が不思議に思うのも無理はない。
私も最初、これを貰った時は首を傾げたんだよね。
私は、スマホからぶら下がっている満面の笑みを浮かべた陽気なおじさんに視線をやった。
「このおじさんは、幸運のおじさんらしいですよ」
「らしいって、真奈ちゃんも良く知らないんだ」
「お父さんからのプレゼントなんですけど、そうとしか聞いてなくて」
毎年、私の誕生日に、どこかの国から帰国するお父さんは、いつも誕生日プレゼントと言ってお土産をくれる。
そのほとんどが頭にハテナマークが浮かんじゃう物が多いんだけど……
『真奈ー。今年はさらにパワーが強いお守りだぞー』
それらは全部、お守りだ。
どうしてお守りばかりなのか。
それをお父さんから直接聞いたことはないけど……
多分、お母さんとの死別が原因なんだと思う。
『これで真奈の幸せは約束されたようなもんだな! ハハハ!』
私を悲しい出来事から遠ざけたい。
そんな気持ちが、お父さんにはあるように見えるんだ。
「幸運をプレゼントか……」
水樹先輩がストラップを見ながら呟いた。
「プレゼントは嬉しいんですけど、世界を放浪するのはそろそろやめて欲しいんですよね」
「そういえば、真奈ちゃんはおじいさんと2人暮らしだったね」
「はい。ホント、困った父親で」
苦笑して話す私に、水樹先輩は優しく笑いかける。
「でも、こうやってプレゼントをちゃんと使ってる。お父さんの事、大切に思ってる証拠だろ?」
からかうようでもなく、穏やかな声色でそう言われて。
私は、小さく頷いた。
「私の、たった一人の父親だから」
いつも傍にいてくれないのは寂しいし、危ない場所へ行ってないかとか心配になる。
文句だって話したいことだっていっぱいあるけど。
たまに届く手紙に書かれた最後の一文で……
『いつ、どこにいても、真奈の幸せを祈っているよ』
許してしまう私がいる。
「甘いかな?」
眉を下げながら笑う私に、先輩は首を横に振って。
「俺は好きだよ。家族を大切に思う君も、君らしくて」
【好き】
その言葉に、きっと深い意味なんてない。
だけど、変に意識してしまって心臓が騒ぎ出す。
このままじゃぎこちない空気になりそうな気がして、私はふと思った事を口にした。
「先輩のお父さんは穏やかそうなイメージがありますね」
水樹先輩に似てて、笑うとフワッとした印象のある人を想像する。
けれど、先輩は頭を振って否定した。
そして──
「俺、父親の性格どころか、顔も覚えてなんだ」
どんな声だったのかも。
どんな話し方だったのかも。
どんな癖があって、どんな風に笑うのか。
何も覚えてないんだと、水樹先輩は少し寂しそうに話した。
ザッ……と、木々が風に吹かれ枝をしならせる。
「そうだったんですね……」
聞いてはいけなかった事に触れてしまった罪悪感。
私が「ごめんなさい」と謝ると、水樹先輩は微笑み「大丈夫」と言って話を続ける。
「別に死んだとかじゃないから気にしないで」
そして先輩は、子猫たちを見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「うちは、俺が小さい時に親が離婚しててさ。俺は母親に引き取られたんだ」
「じゃあ、今はお母さんと2人で暮らしてるんですか?」
「ううん。再婚したから3人暮らし。まあ……あんまり顔合わせないから、3人で暮らしてる感じはしてないけどね」
「ご両親、忙しいんですか?」
顔を合わせないなんて、共働きなんだろうか。
そう思って、軽い気持ちで聞いた私だったけど。
「そうじゃないんだけど……俺はほら、お邪魔虫だから」
先輩が苦笑いを漏らしたのを見て、後悔した。