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蓮人さんとの出会いは5年前に遡る。
私は通学時の時間帯に突然立ちくらみを起こして、駅のホームに転落した。
転落した私をホームに下りて、抱き上げて救ってくれたのが蓮人さんだった。
私は何度か瞬きを繰り返して目を開ける。
微睡むの中、聞える優しいテノールの声。
輪郭はぼやけて見えるけど整った顔立ち。
「気が付いた?」
意識を戻すと駅の救護室のベットで眠っていた。
「わ、私っ!?」
「…君は貧血で眩暈を起こしたんだよ…」
「あ…」
「君はダイエットしてるの?痩せるのもいいけど、ちゃんと食べる物は食べた方がいい」
「貴方は?」
「俺は相馬蓮人だ…」
彼はベット脇の椅子に座って私の看病をしてくれていた。
「ホームに落ちて頭も打ってるようだ…病院で一応…脳のCTも取った方がいい」
「貴方が私をホーム下から…」
「俺だけじゃない。他の人にも手伝って貰った。俺は薬学部卒だし、君の容体が気になって意識が戻るのを待っていた」
「あの…ありがとうございました」
「別に礼なんて・・・」
彼は安堵の表情を浮かべて壁時計を見つめる。
「私はどうすれば??」
「もう少し寝ていた方がいい」
「・・・」
「もう少し一緒に居てあげたいけど、俺も仕事があるんだ。すまない」
彼は足許に置いたブリーフケースを手に持って腰を上げた。
私は寝たままでは失礼と思って、ゆっくりと身体を起こした。
「君はまだ、寝ていた方がいい」
「何かお礼がしたいです。連絡先を教えてください」
「礼なんていいよ。俺は当たり前のコトをしただけだ…」
彼はやんわりと私の申し出を断って背中を向け、救護室を出て行った。
その当たり前のコトが出来ない人達は大勢いるのに。
線路の上に倒れ込んだ私の元に電車が突っ込んで来たら…
私は死んでいたーーー・・・
彼の咄嗟の行動が私の命を救った。彼は命の恩人。
彼の見返りを求めない深い優しさに心惹かれ、いつまでも私の心の中に彼の存在が残った。
そしてそのまま…初恋の人となった。
俺は最上階の会長室に呼び出された。
「安達社長から訊いた。お前の結婚相手が妹の麻友さんになったらしいな」
「まぁな」
俺の親父は会社の会長。若い頃は『社内恋愛』御法度のこの『ソーマ』で、手当たり次第に相馬一族の力を使い女性社員に手を出していた。
若い頃の自分にそっくりなこの俺が気に入らなかったのか…結婚を盾に俺に昇進話を持ち掛けた。
「お前の意思は変わらないな」
「俺は昇進したい。その為に結婚する」
「姉の知香さんには見合いの席で会ったけど、妹の麻友さんとは会っていないわね」
秘書である母・相馬奈央(ソウマナオ)が給湯室から出てきた。
トレーには二客のコーヒーカップ。
「蓮人もソファに座ってコーヒーを飲んで行きなさい」
俺は母さんに促され、ソファに腰を下ろした。
「…で、妹の麻友さんはどんなタイプの女性だ?」
親父の少し厭らしげな物言いに隣に座る母さんは嫌悪感を示す。
「貴方の相手ではないでしょ??」
「でも、義理の娘になるんだぞ!!」
「…達央の時と言い…貴方は…嫁を可愛がり過ぎです!!」
「…舅と嫁が仲良くして何が悪いんだ?奈央」
「貴方の仲良くは…何処か下心も見えているですよ」
「下心って…お前だって二人の息子を溺愛してたじゃないか!」
「それは…母として…息子を可愛がっていただけです!」
俺の目の前で犬も食わない喧嘩を始める両親。
親父は社内で散々浮名を流したが、最終的には美人で出来る秘書の母さんとゴールインして、俺と兄貴の二人の息子を産んだ。
2番目は娘を切望して、『産み分け』に挑戦したが生まれたのはまたしても息子。出産の激痛には耐えられないと3人目は断念してしまった。
上の兄・達央は出来ちゃった結婚。
母さんも親父に似て嫁の美華さんを可愛がっていた。
二人とも似た者夫婦のクセに、全くそのコトに気づいていない。俺は母さんの淹れた美味しいコーヒーを飲み干して、カップをソーサーに戻す。
「俺はオフィスに戻るよ」
「ちょっと、蓮人。今度、麻友さんと4人で食事をしましょう」
「はぁ?俺は彼女の連絡先に知らないし、結婚式当日でいいだろ??」
「何を言ってるの!!蓮人貴方の栄えある門出の日でしょ!?麻友さんに全てを任せる気?」
母さんは俺を早口で捲くし立てる。母さんの逆鱗に触れるとさすがの親父も収集がつかなく、手に負えない。俺も同じだった…
昔から母さんのヒステリックな所だけは嫌いだった。
「判ったから、朝から怒るなよ…」
*********
俺はエレベーターホールに向かって歩いて行く。
全面硝子に見える薄い靄のかかった東京の摩天楼。
「おっ!?蓮人」
広報宣伝部に所属する兄貴が歩み寄って来た。
「兄貴も幹部フロアに用?」
「俺は今度の新しいCMの絵コンテを見せに…社長室に居た」
兄貴は既に部長の役職を手に入れていた。
「お前は親父に用か?」
「まぁな」
「…お前の結婚相手、妹になったらしいな」
「母さんから訊いたのか?」
「…美華のヤツの友人の友人の知り合いらしく、美華に似て巨乳らしいじゃん」
美華…彼女は兄貴の妻。
父親は530年続く華道・氷見流緑川派の家元。若い頃、家元はこの会社の営業マンとして働いていた。
「俺は胸の大きい女は嫌いなんだ。兄貴と一緒にするな」
「…お前、まだ…美華のコトを??」
目の前のエレベーターが停まり、スーッと扉が開いたが、俺は踵を返す。
「おいっ!?蓮人」
「俺は階段で下りる!!一人で乗れっ!!」
兄貴の一言で胸くそが悪くなってにべもしない態度を取って、階段の方に走った。
兄貴の女だと知って手を出した俺がいけないのかもしれないけど…
今その女・美華が俺の義理の姉として、身内である事実に目を背けていた。
過ぎた恋だけど…
俺には心の中に深い闇を作ってしまった。
あれから2週間後。
再び両家で集まった。
私は逸るキモチを抑えてその日をずーっと待っていた。
目の前に座る蓮人さんの今夜のディナーの装いも素敵です。ダークグレーの細身のスーツに爽やかなブルー系のレジメンタルストライプ柄のネクタイ。
「お前、食欲ないのか?」
「あ、いいえ…」
蓮人さんは前菜に手を付けない私を訝しげに見つめてポツリと呟く。
「人の顔をジロジロ見過ぎだ。俺だってお前の視線を感じてると食欲は失せる」
「すいません。不快な思いさせてしまって、直ぐに食べますから…」
「蓮人、麻友ちゃんが可愛いからって苛めないの…」
「俺は別に…」
「昔からウチの倅は好きな子を見ると苛める質で・・・」
相馬夫妻は私を温かく迎え入れてくれた。