Dear~親愛なる君へ~

拝啓

君は私を覚えてくれているだろうか

君と出会ったのは、まだ私に物心がつく前で、君は私よりも3つか4つ年上だった。
でも、私たちはこの世のどんなに仲の良い双子よりも心が通じ合っていた。

言葉は分からなかったけれど、君の言いたいことは手に取るように分かった。

私にとって、君は最初で最後の『親友』だ。
「ちび~」
私がそう呼ぶと「ちび」は嬉しそうに吠え、尾を振った。
そんな「ちび」に私は思いっきり抱きついた。

私はいつも週末になると祖母の家に行き、犬の「ちび」と遊んでいた。

「ちび」って名前なのにすごく大きくて、小さかった私にはライオンみたいに見えた。
真っ白だったし、熊にも見えたかな?

私は「ちび」が本当に大好きで、日曜日に親が迎えに来ても「帰らない」の一点張りだった。

いつも「ちび」と一緒にいて、本当の兄妹みたいだった。

散歩に行くときは、私は小さかったから祖母か叔母が散歩に連れて行ってたけど、私もいつもついて行っていた。

「あたしが持つ~」

リードを持ちたくていつもそう言うけど、危ないからって持たせてもらえなかった。

少し大きくなってからは時々、リードを持たせてもらえるようになった。

でも、やっぱり「ちび」の力はすごく強くて、いつも転んでしまっていた。
その時に、リードを離してしまい、「ちび」は走っていってしまう。

それでも「ちび」は少し離れたところまで走って行くと、私のほうを振り返り、ゆっくり戻って来てくれた。

私はそんな「ちび」が大好きだった。
散歩以外のときでも、いつも「ちび」と一緒だったから、私が家から出ただけで、「ちび」は立ち上がって嬉しそうにしてくれた。

ご飯をあげる時も、ちゃんと「おすわり」をして「お手」と「おかわり」をしてくれた。

ジャーキーなんかのおやつを、どんなに小さくしてからあげても、「ちび」は私の手を噛まずに器用に食べていた。

いつもは家の外にいたけど、台風の日や雷が鳴っている日なんかは、「ちび」は玄関にいた。
それが嬉しくて、私はその日は食事の時間以外、ずっと「ちび」と一緒にいた。

私は、そんな日々が当たり前だと思っていた。


でも、そんな楽しい日々は長くは続かなかった・・・
「ちび」に異変が現れ出したのは、私が小学校3・4年生の頃だった。

「ちび~!」
いつものように、そう呼びながら「ちび」駆け寄った。

すると、「ちび」はいつものように勢いよく立ち上がって飛び跳ねながら嬉しそうに吠えるわけではなく、ゆっくりと立ち上がり、小さく尾を振るだけだった。

そんな日々が続き、私は怖くなっていった。

それでも「ちび」は、私が近くと、何でもないように尾を振って笑顔を見せていた。

そんな「ちび」を見ているだけでも、辛くてたまらなかった。
「ちび」はいつでもそうだった。

ケガをした時でも、辛そうにすることなく、いつでも元気を見せていた。

それでも、雨の日も風の日も共に過ごしてきた仲だ。

辛いことを隠していても、元気そうにしていても、「ちび」のことは分かる。

だから、「ちび」が弱っていくのは誰よりも分かった。
「ちび」も生きている。いつか死んでしまうことは分かっていた。

それでも、実際に「ちび」が弱っていくのをみると、怖くてたまらなかった。

私が生まれた時からずっと一緒にいた家族だ。

私はそれからずっと神様に祈っていた。
『「ちび」を殺さないでください。なんでもするから。「ちび」を殺すくらいなら、私を殺してください』
そう 祈っていた。
そんな祈りも虚しく、「ちび」はどんどん弱っていった。
だんだん 散歩にも行かなくなり、体を触るだけでも痛がるようになった。

何かの病気だった ということは聞いたが、詳しいことは分からない。

それでも、「ちび」は、私が近づくと、小さく尾を振ってくれた。

私は悔しかった。
「ちび」が苦しんでいるのに、何も出来なかった。
体を撫でてあげることも出来なかった。
「ごめんね」
そう 言うことしか出来なかった。

それからしばらくすると、祖母が「しばらくは来なさんな」そう言ってきた。

『死ぬんだ』

こどもながらにそう思った。
それから1・2週間して、祖母から「ちび」が死んだと連絡があった。
祖母の家に行くと「ちび」すでに火葬され、埋葬された後だった。

私は泣いた。
生まれて初めて、悲しさで泣いた。

前に鳥の「チッチ」が死んだときは、悲しかったのは同じだが涙はでなかった。

生まれてきたものは いつかは死ぬ
それは当たり前だと思っていたからだ。

でも、「ちび」が死んだときは本当に頭が真っ白になって、自分が泣いていたことしか覚えていない。

それが 「死」 というものなのだと痛感した・・・