「まったく、総一郎のやつ。
ふざけんじゃないわよ」
廊下の壁にもたれかかり、分厚い資料を見ながら、華子さんはぶつぶつと文句を言っていた。そんな華子さんの機嫌をうかがいながら、私は恐る恐る尋ねた。
「ねえ、華子さん……
大川さんって……なんの病気なんですか?」
「大川さんはね、カルチ……癌よ。
肺の。
しかも末期」
と、答える華子さんは驚くほど無感情。
「ええぇっ?!!」
私はびっくりし周囲を見回したが、華子さんは事務報告でもするかのように続けた。
「本人も知ってる。
告知されてるのよ。
病状も落ちついてるからって、今日は娘の結婚式に出る許可が出たの。
酸素と麻薬で苦痛はコントロールされてるけど、かなりきついはずよ。
披露宴も全部出るのは無理かもね。
入院中も麻薬、ぎりぎりまで使ってるし」
「ふーん。
でも、娘の結婚式って出たいものなんですね。
私のお父さんもそうなのかなー。
私の結婚式………」
自分のウエディング姿は想像もつかないが、なぜだかタキシードを着たお父さんの姿は頭に浮かぶ。背中がぞくっとし、何度もかぶりを振った。
「派遣の看護師さん。
持っていく物品、引き継ぎますねー」
中年の看護師が、華子さんの脇を素通りしながらこう、声をかけた。華子さんは「子リス、待ってな」とだけ言い、勇んで後を付いて行く。華子さんの後ろ姿には、いつになく気負いが感じられる。
今日の仕事は特に集中しなきゃと、私も気合いを入れなおした。