「本当にありがとう。
もう大丈夫だから」

再び顔を見てそう告げると、少女は心からの安堵を抱きかかえ、立ち去った。

少女の階段を下りる足音が聞こえなくなると、程なく遠くからサイレンの音がかすかに聞こえてきた。


救急車が来たんだ。これで、大丈夫……
と、立ち上がりドアの外に出た。


けれども、私は目の前に広がる光景に愕然(がくぜん)とした。


高台にあるドームの更にその2階に位置する救護室からは、ぐるっとドームを囲む道路が遠くまで一望できる。


コンサート終了から30分。
コンサートを楽しんだ4万人が一斉に帰宅の途につき、道路を埋め尽くしていた。街灯で照らされた道路はペンライトが所々で光り、イルミネーションの様相だ。


救急車の赤い点滅が数百メートル先に確認できるが、人ごみに身動き取れずにいるらしく一向に近づいてこない。


警備員は?と、周囲を見回す。目を凝らすと、なぜだか反対方向の南ゲートから慌てふためいて北側へ向かう青い制服が数人、蟻みたいに小さく見えた。その警備員達も人の波に飲まれ、歯がゆいほど近づいて来ない。


背中でチェッと大きな舌打ちが聞こえ、振り返った。


「バカだね。
北ゲート側から入って来ちゃったのかい。
新人の救急隊員なのかね」


いつの間にか私のすぐ後ろに、華子さんは腕組みして立っていた。その指先は、苛立ちを伝えようと腕を叩き続けている。


「なんで?
なんで来れないんですか?
あっちから入ったらだめなんですか?」


「あっちは……北側通路は歩行者優先になってるでしょ。
緊急車両は、南側から入るマニュアルになってんだよ。
だから警備員だって、南で待機してたのに。

ほら、言わんこっちゃない。
人ごみに囲まれて、後戻りもできなくなってるじゃないの。
警備員だって、あそこからじゃなかなか近付けないよ。
まったく、バカばっかり」

と言い捨てると、華子さんは担当患者の様子を見るため、すぐさま救護室に戻った。


華子さんの言う通り、救急車は後戻りできないと観念したらしく、亀の歩みよりもゆっくりと無理やり前進しようとあがいている。『緊急車両が通ります。開けてください』と、悲痛な叫び声を上げながら。


救急車のアナウンスに、もちろん気づいている通行人もいるが、あまりの人ごみにどうしたらよいか分からず右往左往している。


拡声器を持ち交通整理をしていたTシャツ姿のアルバイトは、自分の範囲外の仕事にどう対応すればいいのか分からず、耳の付けたイヤホンを手で押さえ必死で指示を待っている。自己判断では動けないの?と、同年代であることも忘れ、ゆとり世代に腹が立った。


救急車、ここまで来れない。


解決策を見いだせないまま、とりあえず救急車に近づこうと階段に足を降ろした。


と、その時………