「はい、ご苦労さん。
後はいいよ」
華子さんは私の手からエピペンをひったくると、慣れた手つきで真由香ちゃんの太ももに刺した。彼女の呼吸は、みるみる平常にもどりっていく。
しゃがみこんだまま動けずにいる私を、華子さんはじゃまそうにあっちへ行けと手ではらった。当たり前のように、謝罪も感謝の言葉も聞かれない。腰が抜けて立ち上がれず、赤ちゃんみたいにハイハイする私はさぞかし無様だろう。
友達の女子高生は茫然として見守っていたが、華子さんに「お友達、この子の家に連絡入れてくれるかい」と声を掛けられ、やっと我に返った。
「はいっ!」
お友達に、安堵(あんど)の笑顔が戻る。そして、そそくさと携帯で電話し始めた。
電話で話すお友達の後ろで「とりあえず心配しなくっても大丈夫だから。救急車も呼んでますって伝えて」と華子さんは付け加えた。
華子さんが冷静に血圧や体温を測っているの姿を、床にへたばりながら見守っていた。これほど頼もしく見える華子さんは初めてだ。
その時、外側のドアをトントンと叩く音がした。華子さんは気づいていない。まだ、動悸が収まらない私は、テーブルに手をかけやっとこ立ち上がる。そして、手すり伝いに外ドアまでたどり着き、鍵を開けてドアを押した。
ドアの外側には小学校4、5年生の女の子。真っ赤な顔をし額に汗を浮かべながら、瞬きもせずに私を見つめた。
「ハァ……ハァ……ハァ……
あの……私もアレルギーあって……
ハァ…ハァ…
でね、エピペン持ってるの。
あのね、友達からライン入ってて……
友達の友達……
あれ?違ったかな?
とにかく、助けてって連絡あってね…
これ、使って。
私もね、アナフィラキシーになったことあって、すんごい大変だったの。
だから、だから……」
小柄な私より更に小さな少女は、荒い息を整える間も惜しみ、私に一生懸命説明した。
ツインテールに結われた髪は乱れ、左右高さが違う。コンサートオリジナルTシャツは、うっすらと汗が滲んでいる。そして、小さな手にはエピペン。ついさっきまで必死で探していたスティックが、しっかり握られていた。
友達の友達なのか、元ネタがどこなのかさえあいまいなネットの情報を聞き、階段を駆け上がってくれた女の子。
デマだったかもしれないのに……。
騙されたかもしれないのに……。
それでも、本当だったら力になれるかもしれないって、助けてあげたいって思ってくれたんだ。
私は膝をつき、少女の両腕を掴んで顔を見上げた。彼女の瞳は曇り一つない。ただひたすら真っすぐな少女を、私はそっと抱き寄せた。
……温かい。
少女の、私より少し高い体温が伝わる。
ネットの関係ではどんな手段を使っても味わえないぬくもりが、ネットのおかげで伝わる奇跡。
「ありがとう。
本当にありがとう」
思わず強く抱きしめたけど、きっとこの子は訳も分からず面喰っているのだろう。