「なにこれ……」
私はごくりと喉をならした。
ひな人形は100体はあったと思う。長年置かれていたのだろう。中にはコケや泥が付着しているものや、手足がちぎれてしまったものも多くあった。
「どうする? 引き返すか?」
晃が慶太に訊いた。
「いや、もう少し行ってみよう」
「もういいよ、帰ろうよ」
みなみがいった。
「まあ待て、あと少しでちょうど真ん中だ。そこまで行って引き返そう」
慶太が答えた。
ひどい湿気で私は吐きそうだった。
ぐっちゃ、
ぐっちゃ
ぐっちゃ。
「おい。こっち来てみろ」
慶太の声がした。
私たち4人は懐中電灯を一箇所に集中させた。
奈落のような闇の中に、下り階段が浮かび上がった。
「どこに通じてるんだろう」
晃は中を少しのぞいた。
「まさか行かないよね?」
私はいった。
思えばこれが引き返す最後のチャンスだった。
「ちょっとだけ、行ってみようぜ
」晃は階段を降り始めた。
「やめなよ。危ないって」
私はいった。
続いて慶太も降りていった。
「嫌なら待ってろよ」
慶太はふりむいてこっちを見た。
こんなところに置き去りにする気?
信じられない!
私とみなみも不承不承あとに続いた。
階段は20段くらいだったと思う。
足元にはびっしりとコケが生えていて、すべらないように気をつけた。
「そろそろ階段終わるぞ」
終わるぞ、終わるぞ、わるぞ、ぞ、ぞ……。
慶太の声が反響している。
階段を降りると、大きな空間が姿を現した。
奥行10メートル、高さは3メートルくらいだった。
「なんだ、なんにもないじゃん」
慶太がいった。
私は広い空間に出たことで少し不安がうすれた。
懐中電灯であちこちを照らした。
光の中に、ビンや皿、朽ちた木箱が浮かび上がった。
「なにかあるぞ!」
晃が声をあげた。
懐中電灯に石碑のようなものが照らされた。
私たちは近づいた。
1945年、5月3日
……に遭い
多くの……が……
この悲しみを……ために
ここに……を立てることに至った。
文字がかすれて全部は読めなかった。
「なんだろうなこれ」
晃がいった。
「なんか、不気味。ポツンとあるなんて、誰が建てたのかな」
みなみがいった。
慶太は手を伸ばし、石碑に触れた。
その途端。
ウー、ウー、ウー!
サイレンの音が部屋に響き渡った。
「空襲警報、空襲警報」
助けてー!
熱いよ、誰か!
逃げるんだ!!
先生、先生はどこ!
痛い、痛い
焼夷弾だ!
熱い、熱い
沢山の声が一斉に響いた。
全身から血の気がひいた。
私たちは駆け出した。
「ヤバイ! ヤバイ! 逃げろ!」
慶太がいった。
「なんなの!」
みなみは涙声だった。
私は階段を駆け上ると、トンネルを抜けるまで走った。
工事用の柵を乗り越えた時、腕をすりむいたが、そんなことにかまってはいられなかった。
私たちは、また駆け出し、コンビニの前まで来るとその場に座り込んだ。
息が苦しい。
4人は誰も口を開かなかった。
しばらくして、落ち着いた。
「なんだったんだあれ」
慶太がいった。
「とにかく、もう帰ろう」
晃は立ち上がった。
私は家に帰るとシャワーを浴びた。
まだ気持ちは落ち着かない。
シャワーを浴び終わって鏡を見た。
…………
私は叫んだ。
鏡に映る私の後ろに、白いワンピースを着た女が立っていて、うらめしそうな顔をしていた。顔の半分は焼けただれ、眼球が垂れ下がっていて、ほほがえぐれ歯が見えていた。
そしていった。
「私の生徒たちはどこなの?」
気づくと私はベッドに寝ていた。
リビングに降りると、父と母が話をしていた。
「起きたの? 貧血なんておこして大丈夫?」
母が私を見つめた。
そうか、倒れていたんだ。
***
この話を今になっても母にははなしていない。いったところで信じてくれないだろう。
また仲間うちでも禁句になった。
あの日以来、ワンピースの女は姿を現さなかった。
時間が経つにつれ、あの夜のことは風化していった。
何年か後、私はあの石碑について知った。戦争中、あそこには小学校があったが空襲で焼けてしまったのだという。
私たちが入った場所は防空壕で、沢山の子供が治療もうけられず亡くなったと聞いた。また教師たちは校舎に取り残された子供を助けるため、燃える校舎に入り、ずいぶんと亡くなったらしい。
あのワンピースの女は、きっと教師で逃げ遅れた生徒を探したのだろう。
そして今も探し続けているにちがいない。