ma cherie *マシェリ*





「ねぇねぇ。マヒロ君て好き嫌いない?」



キッチンの方からお母さんの声がする。

どうやらマヒロさんのために夕食を作る気満々らしい。


すっかりうちとけて、いつの間にか名字じゃなくて下の名前で呼んじゃってるし。



「何でも大丈夫です」


「そ。良かった! といっても、たいしたもん作れないけどね。お口に合うか……」



あたしは居間にいるマヒロさんに冷えた麦茶を出しながら、そっと耳打ちした。


「ごめんね。なんかお母さん、強引で……。マイペースすぎる人なんだぁ……。もー、ほんとあたしも迷惑してるんだよー」



「何か言った?」


片手にピーラー、もう片方の手にはにんじんを持ったお母さんが顔を出してジロリと睨む。



その様子にククッと笑うマヒロさん。


「親子だなぁ……」って、楽しそうに言う。



「サキはお母さん似だな。遺伝子ってすげー」


「うん。顔だけはね、そっくり。だけどあたしはあんなにずーずーしくないもん」


「何か?」


またお母さんが顔を出す。


今度はごぼうを手にしているし。

今夜のメニューはなんなんだ……。


お母さんはマヒロさんに向けてにっこり微笑む。



「マヒロ君、泊まっていくでしょ?
今夜は夏祭りだし。
二人で行ってきなさいよ」


「えっ!」


あたしは慌ててキッチンの方へ行った。




ごぼうのささがきをしているお母さんの横に立って、小声で囁く。



「泊まりはまずいんじゃない?」


「なんで? いいじゃない。せっかく遠くから来てもらったんだから」


「や、でもうちは……ほらっ」


「あの――」


内緒話をしていたつもりだったんだけど、聞こえてたのかな?


振り返ると、キッチンの入り口にマヒロさんが立っていた。




「オレ、あんまり時間が……。終電に間に合うように帰ろうと思ってるんで」



わき腹にドンッって。

お母さんから肘鉄をくらわされた。


「ほらっ、サキがそんなこと言うから、マヒロ君、遠慮しちゃってるじゃない。
アンタって薄情ねー。せっかくきてくれた彼氏をすぐに帰しちゃうの?」


「やっ、違う……。そうじゃなくて……うちはほら、お父さんが……」


そう言った瞬間、午後6時を告げる柱時計の音が鳴った。



「あ……」



ヤバい。

もう、そんな時間だったんだ……。


――ゴーン…ゴーン……


響き渡る柱時計の音。

あたしにはダースベーダーのテーマソングに聞こえるんですけど。



ゾクッとして、両腕を抱えた瞬間


玄関ドアが開く音がした。



「ただいま」


「おっ……おかえりなさーい」


きっとあたしの声は裏返っていた。




どうしよう。




お父さんが帰ってきた。










――カチャ、カチャ


さっきから食器やお箸の音だけが響く。



結局お母さんにゴリ押しされた形でマヒロさんはうちに泊まることになった。


そして今は夕食を一緒にとっているんだけど。


なんだか気まずい空気が流れている。



チラリとお父さんの方を見る。



よ……読めない。


お父さんが何を考えているのか。


まったく読めない。




帰宅した時、お父さんは、お母さんからマヒロさんのことを紹介された。


「サキの彼氏さん。阿久津真尋君よ」って。



だけど、顔色一つ変えなかった。



「そうか。いらっしゃい」



そっけなく答えて。


軽く頭をさげると、すぐに着替えに自分の部屋に行ってしまった。






そして夕食が始まっても、まるでマヒロさんに気遣う様子もなく、淡々と料理を口に運んでいる。


こうなることは予感してたんだよなぁ……。



絶対、お父さんとマヒロさんは合わないって。


なんていうか、全然タイプが違う。


まるっきり正反対の二人だと思う。



お父さんは几帳面で真面目を絵に描いたような人。



市役所に勤めていて、いつもきっかり同じ時間に帰ってくる。

そう、6時ぴったりに。



まるできっちりと線を引かれたスケジュール帳の上で生活してるみたい。


決まった時間に決められたことをする。



お父さんがふざけて冗談を言っている姿を見たこともないし。


わが親ながら……

難しい人だと思う。



なんで天真爛漫なお母さんと堅物のお父さんが結婚できたのかもよくわからない。


それでも二人は上手くいってるみたいだし。


それなりにバランスは取れてるってことなのかなぁ……。



夫婦ってよくわかんない。

お箸の先を口に入れたまま、そんなことを考えてぼんやりしていたら。


「サキ」


ようやくお父さんが口を開いた。


と思ったら、叱られた。



「ねぶり箸はやめなさい」

「ごめんなさい」


慌てて、お箸を持ち直す。



お父さんは躾に厳しい。


「恥をかくのはお前だ」


っていうのが口癖だっけ。



小さい頃から何度もそう言われていた。


まさかこの歳になってまで注意されようとは……。


しかもマヒロさんの前で……。


ううっ、恥ずかしいよぉ。



なんとも重い空気の中、お母さんの声がした。



「あっ、そうだ!
マヒロ君、ビールでも飲む?
ごめんね。すっかり出すの忘れてたわー。
うちね、お父さん、仕事がある日の前日は飲まないのよー。だから、出す習慣がなくて……」



そう。

お父さんは次の日に仕事がある日は絶対にお酒を飲まない。


あまり強くないせいもあるけど。

翌日の仕事に支障が出る可能性があるから、というのがその理由。




「あ、いや、オレ、いいです」


マヒロさんは席を立とうとしたお母さんを止める。


「オレもあんまり強くないんで。普段は飲みません」



これはウソ。


マヒロさんはどちらかと言えばお酒に強い方だと思う。


ウォッカやテキーラを飲んでも平然としてるし。


なんだかマヒロさんに気を遣わせちゃって悪いなぁ……



そう思っていると、ようやくお父さんが口を開いた。



「阿久津君」






「はい」


「サキとは職場が一緒だと言っていたが。キミもパティシエなのか?」


「いえ」


マヒロさんはお箸を置いて、まっすぐにお父さんの方を見た。



「今は学生です。
マシェリではアルバイトで働いています。やりたいことは他にありますから」



――やりたいこと?


そういえば、マヒロさんの将来の夢って聞いたことがない。

なんだか大学では難しそうな勉強をしてるみたいだけど。



「やりたいこと?」


お父さんは無表情のままマヒロさんを見つめる。



「それはちゃんと生活していけるようなことなのか?」


「え……?」


「お父さんっ!」


「夢だけで食っていけるほど世の中甘くはない。
やりたいことがあるなんてかっこいいことを言うのは結構だが、自分のエゴに家族を巻き込むようじゃ男としていかがなものかと思う」


「お父さん! やめてよ!」


あたしがそう叫んだ時


「ごちそうさま」


食事を済ませたお父さんは席を立ってしまった。


きっとお風呂場に向かったんだと思う。

これもスケジュール通り。


夕飯を済ませた後、お父さんはすぐにお風呂に入るから。



お父さんが出て行った後の居間はさっきよりさらに静かになってしまった。


誰も何もしゃべらない。


気まずい空気が肩にのしかかるような感覚……。


あー……ダメだ。

なんか、泣きそうになってきた。




「あ、お茶入れなおすね。マヒロ君、ゆっくり食べてね」


何かを察したお母さんが席をはずした。



なんだか恥ずかしさとか悔しさとか色んな感情がごちゃまぜになって……


じわりと目の縁が熱くなって涙がこぼれそうになった。



スンッて鼻をすすると、横からマヒロさんが顔を覗き込んできた。



「サキ?」